半分生命で半分細胞部品のような存在をどう定義すればいいのか?

今回の研究により、「細胞として生きながら、どこまでゲノムを削れるのか」という問いに対して、一つの極端な実例が示されました。
Vidaniaは、自由生活細菌のように何でもこなす万能選手ではなく、特定のアミノ酸だけを作る「専門職」として残された結果、葉緑体に迫るほど少ない遺伝子しか持たない「ほぼ細胞部品」のような姿になっていました。
研究チームは、この細菌を「独立した細胞生命の端っこに生きている」と表現しています。
実際、ウンカの体から出てしまえば、おそらくVidaniaは何もできずにすぐ死んでしまうかもしれません。
それでも、ウンカの細胞内ではきちんと分裂し、世代を超えて受け継がれています。
その姿は、もはや細菌というより、ミトコンドリアや葉緑体に近い、いわば「半分細菌・半分細胞部品」のようにも見えます。
またこれは、「進化=より高度で複雑になる」という素朴なイメージに対して、「進化=どこまで手抜きしても協力で生きられるか」という別の顔があることを教えてくれます。
また今回の研究結果は、人工的に最小細胞を設計しようとする合成生物学や、生命の起源研究にとって重要なヒントになると考えられます。
また、「他の生物と強く協力すれば、生命は教科書よりずっと単純な姿でも成り立つかもしれない」という視点は、地球外生命の可能性を考えるうえでも役立つ可能性もあります。
そしてもうひとつは、「見えないほど小さな存在同士の協力関係」が、生態系の安定にどれほど重要かをあらためて意識させてくれる点です。
ウンカと極小Vidaniaの関係は、昆虫と細菌というスケールの話ですが、同じような強い相互依存は、土壌中や海中など、さまざまな場所で見えないネットワークをつくっている可能性があります。
もしかしたら未来の教科書では、「生き物の定義」のページに、極小Vidaniaが例として「どこからが細菌で、どこからが細胞部品なのかを曖昧にする存在」として紹介されているかもしれません。




























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我々ヒトももはや社会の外では個別に生きていくことが難しいだろうな
それでも細胞と違い遺伝的な多様性は持ち得ている
この細菌にも同じことが言える、もし同じ個体内環境を保証してくれる他種が存在すれば鞍替えすることも可能だしな
ヴィルスは自然発生説(細胞になり損ねた有機物)と細胞発生説(mRNA等が細胞から飛び出して…)があるが、
新たに細胞起源説が。
しかも上記2つに比べ無理がない。
そうだとすると長年のヴィルスは生命か非生命かの話にも結論がつくな。
なぜなに物語で、宿主に大規模に遺伝子を渡す側の利点を考えました。
宿主ー共生菌の宿主依存性が高まると、近縁宿主間での雑種では共生菌のコントロールがしっくりいかない雑種弱性が起こりやすくなります。共生菌からみれば、近縁宿主がもっている(優秀な)共生菌にとって代わられる心配がないことになります。
宿主側から見てみます。共生菌の生成物質は、脱皮・蛹化・羽化のときしか必要ありませんし、外骨格に短時間でフェニルアラニンを蓄積させねばなりません。とすると、共生菌の働きを完全にオン/オフできる程度に自由を奪う必要と、フェニルアラニン産生以外の細胞ハウスキーピングのボトルネックを解消させる物量作戦が必要でしょう。となると、宿主側でハウスキーピング遺伝子を持って、(文豪を旅館やホテルに缶詰めにして原稿を上げるように)生活面はすべて宿主側で持つのが合理的に見えます
宿主側から見ると近縁宿主がもっている(優秀な)共生菌を使う事が出来ないというデメリットになります。
脱皮・蛹化・羽化のときに備えて、普段から徐々にフェニルアラニンを合成させておき、合成できたフェニルアラニンはどこかに貯めておけば済む話なので、共生菌の働きを完全にオン/オフできる程度に自由を奪う必要はありません。
ウンカに限らず、アブラムシなどセミ系(半翅目)の仲間で植物の汁だけを摂取する生態のものは、栄養バランスが糖質等に偏りやすく、それを補うためにアミノ酸合成を行うブフネラBuchnera等の共生細菌を体内に共生させている例が多い。
多くの遺伝子を失うレベルの宿主への極度な依存が生まれる為に重要なのは特異的な感染経路。
この手のズブズブな共生関係になるものの多くは、大抵は親から子へ細菌が垂直伝播する仕組みが備わってる。親の糞を食べるとか、卵の殻に菌をまとわせるとか、卵の時点で感染が成立するとか、そういう仕組みがあるはず。