時間の向きは小さな世界では決まっていない

そもそも、時間の向きはどうして決まっているのでしょうか。
この問いは古くから物理学者や哲学者を悩ませてきた、とても根深いテーマです。
ここで、ひとつ簡単なことを試してみてください。
熱いコーヒーをテーブルに置いて、放っておく。
しばらくすれば冷めます。
「そんなの当たり前じゃないか」と思うかもしれません。
けれど物理学者は、その「当たり前」をただ受け流さない人たちです。
ニュートンがリンゴの落下を「当たり前」で済まさず万有引力を見出したように、物理学者はコーヒーが冷めるという現象の中にも、深い法則を読み取りました。
コップの中という一カ所にまとまっていた熱が、周りの空気にバラバラに散っていく。
世の中は秩序ある状態から、乱雑な状態へと進んでいきやすい——物理学者はこの傾向を「熱力学の第二法則」と名付けました。
そしてこの「バラバラになっていく向き」こそが、物理学でいう「時間の矢」の正体と考えました。
熱いコーヒーが冷める、つまり一カ所にまとまっていたものが散らばっていくこと、それ自体が時間が流れた証だというわけです。
ところが、ここで不思議な話が出てきます。
コーヒーの熱が散らばっていく——それが時間の矢の正体だという話をしました。
ならば当然、「散らばっていく仕組み」の中にも、時間の向きが刻まれているはずです。
コーヒーの中身を拡大していくと、最後にたどり着くのは分子と分子がぶつかり合う世界です。
このぶつかり合いの一つひとつが積み重なって、全体として「熱が散らばる」という現象を作り出しています。
ということは、この「ぶつかり合い」のルールの中に、「熱は散らばるべし」「時間はこっちに進むべし」という指示が書かれていてもよさそうなものです。
ところが、ここで物理学者たちは困ったことに気づきました。
分子が二つぶつかって跳ね返る。
片方が右へ飛び、もう片方が左へ飛ぶ。
この小さな世界の動きを支配している法則は、ただ「ぶつかったらこう跳ね返る」としか言っていません。
「右の分子が先に動いた」とも「左が先だった」とも言わない。
つまり、ぶつかり方を決めている法則そのものには、「こっちが未来」「こっちが過去」という区別がどこにも存在しない。
これは本当に不思議なことです。
部品の一つひとつには時間の向きがないのに、それが何兆個も集まってコーヒーになった途端、「熱は散らばる一方で、絶対に元には戻らない」という一方通行が現れる。
時間の矢は、部品のルールの中にはどこにも書かれていないのに、全体になると突然姿を現す。
いったいどこから来たのか——この謎は、今も完全には解かれていません。
そして量子の世界に目を向けると、この謎はさらに奇妙な姿を見せます。



















































