「認められたい」が「犠牲を払ってでも証明したい」に変わるとき
チームは、この仮説を検証するため、スペインで2つの集団を対象に調査を実施。
1つは、オンラインで募集された一般成人328人です。もう1つは、スペインの刑務所に収容されている受刑者222人です。
(ただし、受刑者サンプルにはテロ関連犯罪で有罪判決を受けた人は含まれていません)
参加者は、
・過激なパーソナリティの傾向
・自分が重要な存在だと認められたい欲求
・最近感じた屈辱や不可視化の感覚
・集合的ナルシシズム
・自分の価値観や所属集団のためにどれほど犠牲を払う意思があるか
について回答しました。
その結果、一般集団では、いくつかの心理的要素が連鎖するように結びついていました。
まず、「自分は重要な存在でありたい」という欲求が強い人ほど、自分の所属集団を特別視する傾向が高くなっていました。
そして、そのような集合的ナルシシズムが強い人ほど、自分の中心的な価値観や集団のために、自分の快適さや安全を犠牲にする意思を示しやすくなっていました。
さらに、こうした犠牲への意思は、過激なパーソナリティの高さと関係していました。
チームは、この流れを「特性的経路」と説明しています。
これは、長期的に「認められたい」「重要な存在でありたい」という欲求が強く、その欲求が徐々に集団の優越感や自己犠牲の美化と結びついていく経路です。
一方で、別の経路も見られました。
最近の屈辱や失敗によって自分の価値が傷ついたと感じた人では、集団の優越性を強く意識する段階を経ずに、すぐに「大切な価値のためなら苦痛を受け入れてもよい」という姿勢に向かう傾向がありました。
チームはこれを「反応的経路」としています。
こちらは、じわじわ進むというより、傷ついた自尊心や社会的評価を急いで回復しようとする反応に近いものです。
大きな犠牲を払うことが、「自分には価値がある」と周囲に示す手段になってしまう可能性があります。
ただし、受刑者サンプルでは少し違う結果も出ています。
受刑者の間でも、意義の追求や集合的ナルシシズムは過激なパーソナリティと関連していました。
しかし、価値観や集団のために犠牲を払う意思は、過激なパーソナリティ得点と有意な関連を示しませんでした。
この理由として、受刑者はすでに犯罪行為や収監によって大きな代償を払ったと感じている可能性や、自由を失ったことでさらなる犠牲への意欲が下がっている可能性を挙げています。
とはいえ、これはあくまで解釈であり、今回の調査だけで断定できるものではありません。
今回の研究は、過激さを「危険な思想を持っているかどうか」だけで見るのではなく、その背後にある「自分には価値があると感じたい」という心理に目を向ける重要性を示しています。
過激で極端なパーソナリティは、ある日突然、何もないところから生まれるわけではないのかもしれません。
軽んじられた感覚、認められたい欲求、集団への強い同一化、そして犠牲によって自分の価値を証明しようとする心理。
そうした要素が重なったとき、人は一つの価値観にのみ込まれ、生活全体のバランスを失っていく可能性があります。

























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