鳥の網膜は酸素ゼロ――機能するはずがないのに、機能している

筆頭著者のクリスチャン・ダムスガード博士(オーフス大学)は、2019年に鳥の網膜の不思議な構造を知ったとき、こう感じたといいます。
「酸素がないのに、こんなにエネルギーを使う組織が、どうやって生きているんだろう?」
ダムスガード博士は、まず過去の論文を片っ端から読み込みました。
すると驚いたことに、眼櫛の機能について解剖学的に提案された仮説が約30種類もあることを突き止めたのです。
それだけ多くの説が乱立しているということは、裏を返せば、誰一人として決定打を出せていないということでもあります。
「この構造について、誰も直接的な生理学測定をしていない。じゃあ、我々がやろう」
ここから始まったのが、8年にわたる長い研究です。
新型コロナのパンデミックで研究室に入れない時期も挟みながら、チームはじりじりと前進していきました。
そして2020年、研究チームはようやく決定的な一歩を踏み出します。
獣医の麻酔を専門とする研究者と組んで、ある画期的な技術を確立したのです。
その方法はこうです。
まず、キンカチョウという小さな鳥に麻酔をかけます。
けれど、強すぎる麻酔は呼吸を乱して「普通の状態」を壊してしまうので、慎重に量を調整します。
鳥がリラックスしながら、しかも体内の酸素や二酸化炭素のバランスはちゃんと正常に保たれている——そんな絶妙な状態にもっていくのです。
そこに、髪の毛の数分の一ほどの細さしかない酸素センサーを、ゆっくりと眼球のなかに差し込んでいきます。
センサーを少しずつ進めながら、網膜の表面から奥のほうまで、酸素の濃さを点々と測っていく——気の遠くなるような繊細な作業です。
結果は、誰の予想とも違っていました。
網膜の外側は眼球の外側を取り巻く別の血管網(脈絡膜)から酸素がちゃんと届いており、こちらは普通に酸素呼吸をしていました。
しかし鳥の網膜の内側――視覚を脳へ伝える重要な役割を担う部分には、酸素がまったく存在しなかったのです。
「ほとんどない」ではありません。
「うっすらある」でもありません。
完全にゼロでした。
「衝撃でした」とダムスガード博士は振り返ります。
「網膜の半分が、慢性的な無酸素状態(むさんそじょうたい、専門用語でアノキシア)にあったのです」
この数字がどれほど常識外れか、別の動物と比べてみるとよくわかります。
これまで「温血動物のなかで最も酸素なしに耐えられる動物」として有名だったのは、地下に住むハダカデバネズミでした。
その記録は「最大18分」——脳を含めた全身が、酸素のない空気のもとでもち堪えられる時間です。
しかし、18分というのはあくまで「一時的に耐えられる」という話。
鳥の網膜は、そういうレベルではありません。
通常の生理条件のもとで、ずっと酸素ゼロのまま動き続ける設計になっているのです。
またこれまでの脊椎動物の研究では網膜の中でも特にエネルギー消費が大きいのが内側ほうであることも示されています。
網膜の内側には、神経節細胞・双極細胞・アマクリン細胞といった神経処理を担う細胞群が密集しています。これらは光信号を電気信号に変換し、横方向に統合し、脳へ向けて発火させる仕事をしています。一方、外側の光受容体は「光を受けて電気信号を出す」という一つの役割に特化しています。一般的な脊椎動物の網膜研究では、神経伝達と信号統合を担う層(内側)のほうがエネルギー需要が高いことが知られています。
そしてもうひとつ、決定的な事実がわかりました。
眼櫛から網膜に届けられている酸素は、網膜全体の酸素供給のなかでわずか0.76%にすぎなかったのです。
つまり、内側にはそもそも酸素が届いていないし、外側への酸素供給はほぼ全部が「脈絡膜」の仕事で、眼櫛はほとんど貢献していなかった——300年信じられてきた「眼櫛は酸素の運び屋」という説は、ここで完全に崩れ落ちました。
鳥そのものは、私たちと同じく酸素を吸って生きている動物です。
脳の他の部分も、心臓も筋肉も、ちゃんと酸素を使っています。
しかし「目の奥の特定の場所は、酸素なしで動いていた」わけです。
ですが先に述べたように目は大量のエネルギーを消費する場所です。
そもそも鳥たちは、酸素なしでどうやって、この大食らいの目を動かしているのでしょうか?






































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