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この画像はイメージであり、実際のものではありません/ Credit:Generated by OpenAI’s DALL·E,ナゾロジー編集部
history archeology

中世ドイツのトイレ跡から「ノート」を発見、文字も判読可能だった (2/2)

2026.05.25 17:00:31 Monday

前ページトイレは考古学者にとって「宝の山」だった

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商人のメモ帳か、上流市民の持ち物か

【発見されたノートの別画像がこちら

発見されたノートは10ページから成り、そのうち8ページは両面にろうが塗られていました。

最初と最後のページだけは片面のみの構造です。

驚くべきことに、内側のページは固く密着していたため汚れが入り込まず、木も反っていませんでした。

そのおかげで、ろうは今も残り、刻まれた文字も読み取れる状態だったのです。

LWLの都市考古学者スヴェヴァ・ガイ博士によると、文章は本の持ち方によって2方向に書かれています。

ただし筆跡は1人のものとみられ、思いついたことをその場で記録するノートとして使われていた可能性があります。

初期の推測では、持ち主はパーダーボルンの商人だったかもしれません。

商取引を短く記録したり、自分の考えを書き留めたりしていた可能性があるのです。

中世の多くの人々が読み書きできなかった中で、商人は文字を扱える教育を受けた層でした。

この点は、ノートの使用者が一定以上の社会的立場にあったことを示しています。

さらに、革表紙には小さなユリ模様が規則的に型押しされていました。

ユリは中世において、純潔、王権、神の恩寵を象徴する植物とされ、こうした装飾も、このノートが単なる安物ではなく、比較的高級な品だったことを示していると考えられます。

また、文字に使われている言語はラテン語でした。

このことも、持ち主が上流階級、あるいは上層市民層に属していた可能性を示す手がかりです。

同じ便所跡からは、絹の布片も出土しています。

一部は長方形に裂かれ、細かく織られた装飾のある布も含まれていました。

研究者たちは、これらが使い古された高級布をトイレットペーパーのように再利用したものかもしれないと考えています。

もしそうであれば、この便所を使っていた人々がかなり裕福だったことを示す材料になります。

ただし、ノートの持ち主が誰だったのかは、まだ確定していません。

便所跡が特定の土地の区画と結びつけられれば、今後の文書館調査によって、その場所に住んでいた人物をたどれる可能性があります。

最良の場合、この小さなろう書板が、特定の人物の名前と結びつくかもしれないのです。

現在、LWLの研究チームは保存処理と素材分析を進めています。

ろうや樹脂の混合物、顔料の有無、融点、木材の種類などを詳しく調べ、最適な保存方法を探っている段階です。

また、文字の転写も依頼されています。

ただし文章は専門家にとっても解読が容易ではなく、誤った綴りや以前の文字を消した跡が重なっているため、全体の読解には時間がかかるとみられています。

やがて修復と解読が進めば、このノートは中世パーダーボルンで暮らした誰かの仕事、考え、日常の断片を現代に届けてくれるかもしれません。

トイレに落ちた小さなノートは、持ち主にとっては不運な紛失物だったはずです。

しかし700年以上の時を経た今、それは中世の人々の暮らしをのぞき見るための、思いがけないタイムカプセルになったのです。

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