泣きたい感情を抑えることの危険性とは?
著者は、泣くことを「感情のエネルギーを外へ動かす行為」と捉えています。
悲しいときに涙を流せば、身体は抱えていた緊張を少しずつ解放できます。
しかし、泣くことを恥じて感情を押し込めても、その感情自体が消えるわけではありません。
著者によると、表現されなかった悲しみや不安は、攻撃性、支配的な行動、依存、冷笑、無気力など、別の形で表に出ることがあるという。
ただし、泣かない男性が必ず暴力的になったり、依存症になったりするという意味ではありません。
著者も、父親の涙を見なかったことが、こうした問題を直接引き起こすと科学的に証明しているわけではありません。
ここで述べられているのは、感情を認識して安全に表現する方法を持たない場合、苦しさを処理する手段が限られてしまうという心理的な見方です。
悲しみを悲しみとして表現できなければ、外に向けて怒りをぶつけるか、何も感じないように自分を麻痺させるかという、両極端な反応に傾くことがあります。
そして、この感情表現のパターンは、次の世代にも受け継がれる可能性があるのです。
著者自身は現在、子どもの前で泣き、その涙がどのような感情から生まれたものなのかを伝えているという。
息子から一時的に「男らしくない」と思われる可能性があっても、長期的には「男性も悲しんでよい」「弱さを見せても人との関係は壊れない」という許可を与えられると考えているからです。
感情の幅を広げることは、楽しい感情だけを増やすことではありません。
より大きな喜びを感じるには、悲しみや痛みにも触れる必要があります。
不快な感情だけを閉じ込め、幸福だけを十分に味わうことは難しいというのが、彼の主張です。
まとめ
父親の泣く姿を見たことがない男性は、知らないうちに「弱さを表してはいけない」という習慣を受け継いでいる可能性があります。
その習慣の中では、悲しみや恐怖を素直に認めることよりも、平静を装うことや一人で耐えることが重視されます。
しかし、それは生まれつきの男性の性質ではなく、家庭や社会の中で学習された行動なのかもしれません。
学習されたものであれば、意識することで書き換えることもできます。
もちろん、泣くこと自体が心の問題をすべて解決するわけではありません。
また、人前で無理に涙を見せる必要もありません。
大切なのは、自分が何を感じているのかに気づき、悲しみや不安を「弱さ」として切り捨てないことだといいます。































