私たちを縛り、形作るものでもある人の「名前」。
名前はふだん当たり前のように「言葉」で呼ばれていますが、インドのある村では、なんと互いの名前を「歌」で呼び合う地域があります。
インドはメーガーラヤ州の北西部、コングソン村では、およそ700人の村人たちが暮らしています。
山や森林に囲まれたこの村で、日々川の水流や鳥のさえずりに混じって聞こえてくるのが、人々の名前を呼び合う美しい調べです。
「ジンワイ・ラウベイ“Jingrwai Iawbei”」と呼ばれるこの風習。いつ頃始まったかは、記録が残っていないためはっきりとはわかりませんが、少なくとも数百年は続いているといわれています。
「ジンワイ・ラウベイ」は、カーシ丘西部にあるコングソン村を含む12の村で見られる風習で、この村が集まる地域は「カダー・シュノン “Khadar Shnong” 」地区と呼ばれています。ここでは大人だけでなく、子どもたちも友だち同士で「ククィーー」、「クークーーーゥ」などと、互いの名前を歌で呼び合っています。
歌は長さは、平均すると4〜6秒ほど。その調べは、自然の中の音に着想を得て作られているそうです。奏でられる音は口笛や鼻歌のようでもあり、小鳥のさえずりのようでもあります。(記事上の動画参照)
では、一体誰がその名前を考えているのでしょうか。
コングソン村の母親は、出産の際に子どもに歌を贈ります。その歌は意味を持たず、子どもへの愛情をただ示すため、心の底から自然に生まれ出るものだといいます。そのあふれ出た歌が、子どもたちの名前となるのです。
母親は9ヶ月間赤ん坊を身体に宿した後、激しい苦痛に耐えて出産します。そして無事に出産が終わった時、その安堵から湧き起こるのは、何とも言えない幸せな幸福感です。この時、喜びと子どもへの愛情から、子守唄のようなメロディーが自ずと出でくるといいます。
母親からの最初の贈り物でもある、歌の名前。果たしてこの歌が意味する役割とは何なのでしょうか。
この村の一族は、母親が家長となる家母長制社会です。そのため、一族の女性の先祖に敬意を払うために歌が作られるのでないかと考えられています。歌には一族の創始者である、女族長への敬愛の念が込められているのです。「ジンワイ・ラウベイ」の「ジンワイ」は「歌」を、「ラウベイ」は「一族の女性の先祖」を意味します。
実は、歌の名前にも2種類存在します。家の中では短いですが、森の中で呼ぶ時は少し長めに歌われます。これは、森の中をさまよう邪悪な魂が誰かの名前を聞き取るとその人が病気になると信じられており、簡単に聞き取れないようにするためです。
また、急斜面からなる地形では歌の名前は遠くまでよく鳴り響くので、狩りの仲間とコミュニケーションが取りやすいという実際的な理由もあります。
彼らの歌の名前に、一つとして同じ歌はありません。もし誰かが亡くなったとしても、新しく生まれた子どもに亡くなった人の歌が与えられることはなく、新しい歌が与えられます。
とはいっても、常にお互いを歌で呼んでいるわけではないようです。子どもが危険にさらされている時など、緊急時だけは歌ではなく本名で名前を呼びます。
つまり、彼らは合計3種類の名前を使い分けているのです。
ところが近年、「ジンワイ・ラウベイ」の伝統の本質が失われようとしています。その原因が、ラジオなどを通して入って来る「外の世界の音楽」の影響です。ある母親は、ボリウッドの曲Kaho Na Pyar Haiにちなんで子どもを名付けました。逃れられない外国の影響、そして変わりゆく伝統が波紋を呼んでいます。
また、村を出て、この風習を持たない村外の女性と結婚する男性も増えてきました。歌の名前を持つ村人は急速に減っています。
「ジンワイ・ラウベイ」消失の危機は、現代文明が伝統に与える影響を象徴しているかのようです。この美しい風習が消えることなく、いつまでも続くことを願ってやみません。
そして彼らの風習は、ドキュメンタリー映画にもなっています。映画監督のオイナム・ドーレン氏が撮影した“My Name Is Eeooow”は、イギリス王立人類学協会の映画祭で上映され、『有形文化財』賞を受賞しました。
“My Name Is Eeooow”は、現在Youtube上でトレイラーが公開されています。
字幕は英語ですが映像もとても美しく、一見の価値があります。美しく不思議な「ジンワイ・ラウベイ」の空気が、そのまま息づいているかのようです。
via: mnn / translated & text by まりえってぃ