philosophy

「無」とは何なのか? 物理学と哲学から考える

2018.11.11 Sunday

Point
・物理学における「空虚な空間」は、量子力学からすると微細な分子やエネルギーに満たされているため「無」とは言えない
・哲学においては、そもそも「無とは何か」という問い自体に無理があるとし、「無」をひとつの概念的実体と考える
・「無」という概念は、学問的探求の土台であり、そこから新しい発見は誕生する

目を閉じて、「何もない状態」を想像してみてください。するとすぐに難しいことが分かるはずです。

目を閉じていても光の残像が見えたり、あるいは昨日の出来事を思い出したり、はたまた通りの雑音が聞こえてきたりと、私たちは常に何かに囲まれて生きているのです。そこで、先人たちはこのように問いました。つまり、「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」。言い換えるなら「何もないとは何か」と。

この「無」という概念は、一見子供でも理解しているようなことに思えますが、それについて詳しく答えることは専門家にとっても究めて困難なことです。そこで今回は、「何もない」という問題について、物理学者と哲学者それぞれに見解を紹介します。

物理学における「無」とは?

カリフォルニア工科大学の物理学者であるショーン・キャロル氏は、「無」の問題に科学的な観点から答えようとします。キャロル氏は、現在の宇宙について最も正確に調査することのできる量子力学を援用しつつ、「無」とはそもそも「真空」とはまったく違うものだと指摘しています。それによれば、ある空間がまったく空っぽであるように見えても、量子力学的にはいまだ何らかのものが存在しており、ただ運動量ゼロの静止状態にあるだけなのです。要するに、空虚な空間は微小な分子やエネルギーに満たされているため、「何もない状態」とはまったく異なります。

物理学的な真空は「無」ではありませんが、キャロル氏は「無」の状態でありうるひとつの可能性を示唆しています。それは「時間と空間の両方が欠如している状態」だと言うのです。アインシュタインの一般相対性理論が登場して以来、時間と空間は、もはや固定され動かない絶対的なものではなく、エネルギーによって歪められうる力動的なものであると理解されています。そうすると、「無」とは時間と空間の中に何もない状態というよりもむしろ、時間と空間自体が存在しない状態でないといけません。

ただ、物理学にとって時間も空間もないような状態を探求の対象にすることは何ら有益ではありません。「無とは単純に何かが欠如しているものであって、それ以上でもそれ以下でもない」とキャロル氏は言います。物理学とっては、何かあるものを探求することに意義があり、「無」の問題はその何かが欠けているという限りにおいてのみ興味関心の対象となるわけです。

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