「親は神」という社会背景と子供の抵抗
――そういえばインドでは、親が神のように扱われるらしいです。子供はただでさえ自分のことで大変なのに、親のことまで考えなきゃいけないなんて本当に生きにくい社会ですね…。
星乃:そうですね。子供は親を客観的に見て、否定するべきところは否定して、自己を育てて行かなければならないんだけれども、それが「親不孝」と捉えられ批判の対象となるなら、子供は本当にどうしようもなくなります。
その親絶対主義の僅かなスキをついた、子供からの精一杯の抵抗がインドの反出生主義なのかもしれませんね。
――精一杯の抵抗か…。実は私も反出生主義には共感できる部分があったのですが、その理由が少し分かった気がします。
でも反出生主義は日本…特にネット上でも流行っているように思うんですが、日本の流行はどのような背景があるんでしょうか?
星乃:日本でもインドほどではないけれど、やっぱり親は敬うべきという無意識的な圧力ってありますよね。さっきお話した患者さんもそれに苦しんでいたわけですし。
ただ、個人的にはそういう親子関係と意識発達のシステムが関係しているように思うのだけれど、世界的な時代の流れの影響もあるのではないでしょうか。
反出生主義というのは、人生に希望が全く持てないということから来ているように思うんだけれど、今の時代がまさに、人生に希望が全く持てない、人生の価値が全く見えない時代なんですよね。これは70年代からのポストモダンの影響が大きいんじゃないかな。
――希望が持てないというのもありますし、昔と違って「こう生きるのがベスト」みたいな規範や価値が相対化されているのもありますよね。ここにポストモダンがどう影響してくるのでしょうか?
星乃:モダンとは近代という意味なので、ポストモダンとは近代以降という意味です。近代というのは、科学が発達してきた産業革命以降から第二次世界大戦くらいまでを指すのだけど、そのくらいのときって、人類は科学によって豊かで皆が幸せに暮らせる時代がやってくるという期待を持っていたんです。
でも、そんなことには全くなってこなかったでしょ。だから、社会や人類全体がどうかという大きな視点を持つことに興味を持てなくなっていった。
そして、同時に思想界では、そもそも人間には主体性なんてなくて、ただ無意識のシステムに動かされているだけの存在とする考え方が出てきたのね。そうなると、価値観なんて人それぞれでいいってことになって、人類共通の真実や価値なんて存在しないという考えが主流になったんです。これがポストモダンの相対主義ってやつです。
――なるほど。そもそも今の時代は「絶対的な人生の価値なんてない」ってことになっているんですね。
星乃:そうなんです。そして、人間は無意識のシステムに動かされているだけの存在なんだから、当然「成長」というのも幻想にすぎない。人生に価値を見出すのも個人が勝手にやってるだけで、本当は意味がないかもしれない。
脳科学からしたら、人間の意識でさえただのシナプスの化学反応に過ぎないかもしれないわけです。そんな考えが、特に今のアカデミズムでは主流になっているんですから、社会の風潮もそれに影響を受けて、「生きていることなんて意味がない」ということになっていきますよね。
しかも、現在は格差社会で、貧富の差がどんどん開いていっています。生活に余裕のない人が増えていますし、努力しても一発逆転なんて夢のまた夢という状況です。それでは、人生に希望なんか持てるわけないですよね。
あー、その反映としての今回の反出生主義の流行なわけですね。