「生まれたくなかった」ある女性の苦しみ
――そういえば星乃さんは、実際に反出生主義の人にお会いしたことがあるんですか?
星乃:さすがに「私は反出生主義です」と公言している方にお会いしたことはないけれど、「こんなに苦しいのなら生まれたくなかった」とずっと言っていた女性の患者さんはいましたね。
その方は、子供の時から常に母親の顔色を伺い、母親の愚痴を聞き励まし、母親の人生観をそっくりそのままコピーしたような生き方をしてきた方でした。
カウンセリングを始めたころは、ご自分の症状がその母親の影響から生じていることに気づかず、いつも「お母さんがかわいそう」「お母さんがどう思うか」というようなことを言っていました。
母親の影響に気づいてからも、母親を否定することに抵抗がありましたが、母親と離れ、母親を客観的に見ることができるようになって、やっと症状もよくなっていったんです。
――少し前からやっと「毒親」という言葉が出て来ましたが、親を否定するって勇気いりますもんね…。その方はどうして「生まれたくなかった」となったんでしょう?
星乃:そうですね、彼女の場合、母親との関係で作られた「生きている価値がない自分」という自己イメージや、母親の考え方で生きてしまっていることで、うつなどの症状が生じていました。それなのに、母親の人生観・世界観から出ること、母親を否定することは彼女にとっては、そのまま自分を否定することになってしまうんですね。
子供というのは、親との関係の中で自分の自我の基盤を作るものなんですが、親が子供の自立性や主体性を尊重せず、自分の考えを押し付けすぎたりすると、子供は過度に親と自己同一化して生きるしかなくなるのです。
すると、親を否定することは自分を否定することとなってしまうのですね。その逃げ場のないダブルバインド的な状況が「生まれたくなかった」という感情を引き起こすのではないかと思います。
――なるほど。もう八方塞がりで、逃げ場が「自分を産まなければよかったのに」しかなくなるんだ。
星乃:そうなんです。つまり、何をやってもうまく行かず、人生がこれからよくなる希望も一切持てない。そして、なんとなく親の影響があるのかとも思うけども、親の子育ての仕方を否定することもできない。親のせいにする自分に罪悪感も感じる。
だから、「親がそもそも産まなければ、自分も親も辛い思いをしなくて済んだのに」となっていくんですね。
具体的な親の自分に対する態度や言葉を批判するよりも、産む産まないという議論の方が問題の本質に届かない表面的なものになるから、親も自分もそこまで傷つかずに済むということなのかもしれません。
――うわ、なんか心の奥深くにグサグサ刺さるものが…。本質的なことに対する議論から逃げている、ということなんですね。