
■走ることをやめられず、心身がボロボロになるまでランニングを続けてしまう「ランニング中毒」の人がいる
■これは走ることがアイデンティティの一部となってしまう症状であり、ランニングをやめることは自我の崩壊を意味してしまう
■ こうした罠にハマらないためにも、あくまでもランニングが健康維持への選択肢の1つであることを意識することが重要である
健康のためのランニングで、逆に健康を損なう人がいるとは…。
ダイエットのために始めたランニング。週1回だったものが週3回、週5回に増え、それが毎日の日課となり、距離も延ばしてやがてどんなに疲れてボロボロになってもランニングがやめられないーー。世の中にはそういった具合で「ランニング中毒」になってしまう人がいます。
走ることが心身に与えるいい影響については明らかです。しかし、やりすぎてしまえば話は別。そこでは「走りたい」といった欲求から「走らなければならない」といった義務へのシフトが起こっている恐れがあるのです。
走り続けることの「罠」
ランニングを始めると、当然ながら体が絞られます。すると洋服をクールに着こなせるようになり、会社の同僚や友人からポジティブなコメントをもらえるようになるでしょう。そして徐々にスピードが上がり、タイムも向上していけば、さらに走る意欲が増していきます。
そして今までどおりの走りでは満足がいかなくなり、5kmだった距離が10kmとなり、ふだんは同僚とおしゃべりしながら息抜きをしているような時間がそこに割り当てられます。しかし、あなたはそんなことは一向にお構いなし。なぜなら走れば走るほどにあなたは周囲から認められ、自尊心が満たされるからです。そして10kmはやがてハーフマラソンになるでしょう。

危険なのは、ここでのあなたの価値が「ランニング」に結びついてしまっているということです。言い換えれば、ランニングがあなたのアイデンティティの一部になってしまっているのです。だとすれば、もしあなたが走ることを止めてしまえば、あなたはいったい「誰」になってしまうのでしょうか?
あなたは自分の価値を保つためにランニングを続けています。走れば走るほどに自分の価値を高められるあなたは、ついにはこんな信念を抱いてしまうのです「走り続けなければならない。さもなくば価値のない『誰でもない人間』に成り下がってしまうんだ」