- 第二次大戦中、ソ連側として、アメリカで諜報活動を行っていた4人目のスパイの存在が判明
- 「Godsend(神の恵み)」というコードネームを持ち、マンハッタン計画の本拠地であるロスアラモス研究所に勤務していた
1940年〜1948年の間に、3人のアメリカ人スパイが、原子爆弾製造に関する機密情報を旧ソ連に持ち帰ったことは有名です。3人の名はそれぞれ、デビット・グリーングラス、クラウス・フックス、セオドア・ホールと言います。
彼らのスパイ活動が、旧ソ連の核開発を急速に推し進め、その後の米ソ冷戦の引き金となったことは言うまでもありません。
しかし、その裏に4人目のスパイが存在したことが、このたび新たに判明しました。
「Godsend(神の恵み)」というコードネームを持つその人物の存在は、戦中から70年近くにわたり、機密情報として隠され続けていたのです。
調査を行ったジョン・ヘインズ氏とハーヴェイ・クルハー氏の詳細な報告は、11月23日付けで「ニューヨーク・タイムズ」に掲載されています。
https://www.nytimes.com/2019/11/23/science/manhattan-project-atomic-spy.html
第4のスパイ「Godsend」の正体とは
「Godsend」の存在は、2011年に機密指定リストから外されたFBIの重要ファイルの中に発見されました。しかし、何万ページにも及ぶ文書の中にさえ、その人物の情報はわずかしか残されていません。
調べによると、Godsendの実名は「オスカー・セボラー」といい、ポーランド出身のユダヤ系移民の生まれであることが分かりました。このユダヤ系移民のグループが、ソ連の諜報員と繋がりを持つネットワークの一部であったようです。グループ内には、数名のソ連共産党員も確認されています。
セボラーは、エンジニアとしての訓練を受け、1942年にアメリカ陸軍に入隊。その後、1944年にロスアラモス国立研究所の配属となり、2年間にわたり原子爆弾の開発に携わっていました。
ロスアラモス国立研究所は、世界最初の原子爆弾を開発した「マンハッタン計画」の施設として知られています。セボラーはこの時期に、Godsendとして、諜報活動を行っていました。
戦後、セボラーは、アメリカ海軍のエンジニアを務めたものの、順風満帆ではなかったことが記録に残されています。
上官たちはセボラーを「セキュリティ上の危険人物」としてマークしていたのですが、これはスパイ疑惑ではなく、共産党員との関係を持っていることが原因だったようです。
セボラーは、1952年にアメリカ国内で反共産主義の熱気が最高潮に達した際、実兄と義姉、義母とともに密かに国を出ました。最終的にはモスクワに定住し、2015年に亡くなるまでそこに留まっています。
さらに、2009年にロシアで公開されたKGB(ソ連国家保安委員会)の文書にも、セボラーが4人目のスパイだったことを示す記録が見つかっています。
中には、「諜報員はGodsend1人ではない。彼はファミリーの一部に過ぎない」という記述も見られました。セボラーの他に、「Godfather」「Relative」「 Nata」というコードネームが判明しており、これらはそれぞれ、セボラーの2人の兄と1人の姉を指していると言われます。
一方で、セボラーに関する上記以外の情報はほとんど見つかっておらず、彼の活動が旧ソ連にとってどれほどの重要性を持っていたのかはいまだに不明です。
それでも、セボラーの葬儀の際、参列者の中に、KGB(1954〜1991)の後任であるFSB(ロシア連邦保安局)の代表がいたことは付記しておかなければならないでしょう。