- ユカタン半島の中央に、マヤ文明の一都市コバーにより建設された巨大人工路「サクべ」がある
- サクべは、コバーから西に100キロ離れた都市ヤシュナと繋がっている
- 建設理由は、コバーがヤシュナを征服あるいは和平を結ぶ目的があったとされる
ユカタン半島に栄えた古代マヤ文明。その長い歴史の中で、紀元500〜900年頃に強い勢力を誇ったコバーというマヤ族の都市がありました。
コバーの全盛期を支配した女王カウィール・アジョー(K’awiil Ajaw)は、紀元680年頃に、コバーと西に100キロ離れた別の都市・ヤシュナとをつなぐ巨大な人工路「ホワイトロード」を建設しました。
ホワイトロードは、マヤ人が作ったいくつかの類似する人工路の中で最も大きく、まっすぐな直線路という点が最大の特徴です。
一方で、建設の目的についてはこれまで分かっていませんでした。
今回、カリフォルニア大学およびマイアミ大学の調査により、2つの仮説が浮かび上がっています。
その2つとは、カウィール・アジョーがヤシュナを征服するため、あるいはヤシュナと和平を結ぶため、という正反対のものでした。
研究の詳細は、「Archaeological Science」に掲載されています。
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S2352409X19306662
侵略のためか、和平のためか
ホワイトロードの正式名称は、「サクべ(sacbe)」と呼ばれます。古代マヤ語で、サクは「白い」を、ベは「道」を意味します。
サクべは両側の地面より少し高く作られており、石灰の粉や漆喰を使って舗装されました。
カリフォルニア大学の考古学者トラヴィス・スタントン氏は「当時の建設としては、前例のない量の資材が投入されており、最も大規模なプロジェクトだったことは間違いない」と話します。
研究チームは、光検出測距装置「LIDAR」を用いて、サクべを調査。上空から、毎秒数百回の速度でレーザーパルスをサクべに反射させることで、鬱蒼とした木々に隠れている地形を明らかにします。
これにより、サクべの正確な3次元マップが作成されました。
この作業を100キロすべてに実施した結果、サクべは、これまで言われていたのとは違い、正確にはまっすぐな道ではないことが判明したのです。
サクべは、コバーとヤシュナの間にある他の小さな領地を通過するように、いくつかの場所で曲がっていました。
マイアミ大学のトラシ・アルドレン氏は「サクべの建設目的は、単にヤシュナへ侵攻するためではなく、その間にある領地も根こそぎ征服しようという目的があったのかもしれない」と指摘します。
他方で、「コバーによるヤシュナ侵攻には別の理由がある」とアルドレン氏は述べています。
それが、当時、ヤシュナの北部23キロの場所で勢力を拡大しつつあった都市「チチェン・イッツァ」の存在です。
コバーとイッツァの間にどのような関係があったのかは不明ですが、歴史的な事実として、コバーはアジョー亡き後、急速に没落していき、反対にその後の数世紀間、マヤ文明のトップに君臨したのはチチェン・イッツァでした。
これを考慮すると、コバーは、ヤシュナおよび道路上にあった諸都市と手を組んで、イッツァの勢いを止めたかったのかもしれません。
つまりサクべの建設は、単なる侵略ではなく和平を結ぶ目的があったとも考えられるのです。
もしかしたら本当は「敵をコテンパンに制服してから和平を結ぶ」といったような、ちょっとずる賢い手段だった可能性もあるかもしれませんね。