新しい環境で新しい知識をたくさん覚えなければならない、と苦労している人は多いでしょう。
同様に、これまで覚えてきた知識を人に教えなければいけないという立場で苦労している人も多いと思います。
そんなとき、教えてもらった知識だけではうまく行かなかったり、うまく言葉で説明できなかったりして悩むことはないでしょうか?
私たちは「知識」というものを一言で扱っています。しかし実際、「知識」は言語や記号に置き換えて説明可能な形式知と、言語化して伝えることができない暗黙知の2種類に分かれています。
多くの人が覚えたり、教えたりする際に苦労しているのは、この言語化できない暗黙知です。
長い歴史の中で急速に多くの知識を獲得してきた人類にとって、獲得した知識を適切に相手に伝えることは非常に重要な課題となっています。
それは会社が組織内で培ったノウハウを新人に教える場合や、大学が専門分野を発展させるために必要な知識を学生たちに教える場合も同様です。
このため、知識自体を研究する新しい科学分野「知識科学(ナレッジサイエンス)」というものも登場しています。
そこで重要になるのが、先程あげた言語化できない暗黙知の扱いです。
これが何であるのか意識できれば、何をやってもうまく理解できない、教えられないという問題が解決に向かうかもしれません。
知識の種類
一般的に知識には、「形式知」と「暗黙知」の2種類が存在しています。
形式知とは、言葉や数学、図などを利用して明示的に相手に示すことが可能な知識を指します。
一方、暗黙知は完全に個人的な領域に存在する知識で、共有することも表現することも非常に困難です。
しかし、知識の中で言葉にできる形式知とはほんの氷山の一角で、ほとんどの部分は暗黙知なのだと言われています。
例えば、人の顔の見分け方は暗黙知と言われています。あなたが家族の顔を一目で認識できたり、人混みから友達の顔を見分けられるのは、どうしてでしょうか?
当たり前にできる行為ですが、どうやっているかと聞かれると、おそらくそれを事細かに説明できる人はいないと思います。
また、自転車の操作技術は暗黙知の代表例とされます。自転車の運転は、言葉にできないバランス感覚を身体全体で制御する必要があります。
これは覚えることも、教えることも苦労する知識でしょう。
このように暗黙知とは、経験や実戦を通して直接会得するしかない知識で、必要とされたときに無意識に呼び覚まされるものなのです。
これは職人の技術などにも当てはまります。
よく芸人や職人に弟子入りした人は、下働きさせられるだけで何も教えてもらえず、技は師匠のやっていることを見て盗め、と理不尽なことを言われるといいます。
こういう話を聞いて「ひでーな」と思う人もいるかもしれませんが、実際のところ職人の技術はそのほとんどが暗黙知であり、教えることができない知識なのです。
そのため、「見て覚えてね」となるわけです。
エロの知識だけは豊富な童貞が、実戦では無力なのも同じ理由です。そして相手が見つからないからいつまでも童貞です、という問題も実のところ暗黙知の問題のようです。
相手の感情を理解する知識や、自分の感情を相手に伝える技術など、コミュニケーションに関するスキルは感情的知性と呼ばれ、代表的な暗黙知に含まれます。
相手と共感すること、共感を引き出すこと、相手に愛されること、こういうものは経験から習得される知識に頼るもので、教えてもらってできることではないのです。