18~19世紀の蘇生法「タバコ浣腸」
19世紀に入ると、蘇生するには「体を刺激して身体機能を取り戻す必要がある」と理解されるようになっていきました。
そこで溺れた人を温めたり、人工呼吸したりすることが推奨されるようになったのです。
しかし重要視されていたのは、「なんとかして身体機能を回復させる」ことだったので、刺激を与えるさまざまな方法が試されることに。
例えば、ローランド少年に行われたマッサージなどの外部刺激は必須だと考えられていました。
またラム酒などの刺激的な飲み物を胃に流し込むような内部刺激も行われるようになります。
そして当時行われていた最も刺激的な方法が、溺れた人の肛門に器具を突っ込み、タバコの煙を送り込む「タバコ浣腸」でした。
17~19世紀初めまで、オランダを含むヨーロッパではタバコが薬として扱われていました。
そのため人々は、心肺蘇生にもタバコを用いるようになったのです。
実際、一部の医師たちは、タバコ浣腸を人工呼吸と同じくらい重要なものとみなしていました。
もちろん当時からこの治療法を批判する声は上がっており、19世紀初めにニコチンの有害性が発見されてからは衰退していくことになります。
そして20世紀に入ると、電気や自動車などの個人用機械の普及により、「感電」「ガス中毒」で仮死状態になる人が増えました。
蘇生の対象が「溺れた人」だけではなくなったのです。