紀元前786〜543年頃のものと判明
この鱗鎧は、中央アジアに広がるタクラマカン砂漠の上部、トルファン近郊のYanghai遺跡で出土したものです。
Yanghai遺跡は1970年代に地元民によって発見され、2003年以降に500以上の墓が発掘され、その中に今回の鱗鎧も含まれていました。
この地はBC12世紀からAD2世紀までの約1400年間、人々によって継続的に利用されていたことが分かっています。
彼らは文字による記録を残しませんでしたが、古代中国の歴史家はこの地の人々をチェシ(Cheshi)族と呼んで記録していました。
古文書によると、チェシ族はテントを張って暮らし、農耕を営み、牛や羊の放牧をして、乗馬や弓の名手だったようです。
研究主任の一人で、チューリッヒ大学のパトリック・ヴェルトマン(Patrick Wertmann)氏は「革製鱗鎧の発見はきわめて珍しい」と言います。
ヴェルトマン氏によると、BC14世紀のツタンカーメン王の墓から発見された革製鱗鎧が、出所が判明している唯一の先例とのこと。
ニューヨークのメトロポリタン美術館にも古代の鱗鎧が保管されていますが、こちらはBC8〜3世紀頃という情報以外、ほとんど何も分かっていません。
研究チームは今回、鱗鎧が見つかった墓に埋葬されていた遺骨を調査。
その結果、30歳前後で亡くなった男性と判明し、鱗鎧の他に陶器や羊の頭蓋骨などと一緒に埋葬されていました。
さらに、鱗鎧に刺さっていた植物のトゲを放射性炭素年代測定したところ、BC786〜543年頃のものと判明しています。
放射性炭素年代測定とは生き物体内の放射性炭素の存在量から、いつその生物が生命活動をやめたか知ることができる測定法です。
ここから、鱗鎧は約2500〜2700年前のものであり、男性は兵士だったと考えられます。
共同著者で、ドイツ考古学研究所(DAI)のメイケ・ワグナー(Mayke Wagner)氏は、鱗鎧について「一般兵のための軽量かつ効率的に脱着できるフリーサイズの防御服だった」と指摘。
また「他人の手を借りずに素早く装身でき、打撃や剣戟に対する防御力を高めることができた」と続けます。
鎧を復元してみると、5444個の小さな革の鱗と、牛の原皮(げんぴ)で作られた140個の大きな鱗からなっていました。
それぞれの鱗は横一列に並べられ、革紐が切り込みを通すようにそれらをつなぎ合わせます。
そして、各列を魚の鱗のように重ね合わせることで、一枚の鎧の完成となっていました。
一方、この鱗鎧は中国北西部で見つかったものの、出所は中国ではないと指摘されています。
では、一体どこから来たのでしょうか。