死後の世界でも愛馬に乗れるように
遺跡はクニットリンゲンの中西部に位置し、1920年に中止された鉄道の建設工事の際に初めて発見されました。
今回の調査では、単純な墓穴や精巧な木造の埋葬室を含め、合計110基の墓が見つかっています。
問題の男性と首なし馬が埋葬されたのは、今日のフランスから中央ヨーロッパにわたる広大な領土を支配したメロヴィング朝(紀元476年〜750年)の栄えていた時代です。
ArchaeoBWの考古学者で、発掘調査を率いたフォルケ・ダミンガー(Folke Damminger)氏によると、男性は生前、メロヴィング朝の王に仕えた位の高い人物だったという。
「彼はメロヴィング王朝の王を頂点とする”命令系統”の中におり、それはつまり、王の出す作戦に参加する義務があったことを意味している」と氏は述べています。
続けて、「彼はおそらく、この地域のエリートとして、家族と使用人からなる農家の世帯主だったのでしょう」と話しました。
しかし、彼自身は厳密な意味での農民ではなく、実際の農作業は他の労働者が受け持っていた可能性が高いとのことです。
彼が首なし馬の側に埋葬された正確な理由は不明ですが、馬の首を落とすことは埋葬の儀式の一環だったと考えられます。
「馬は生贄としてではなく、来世のための副葬品として所有者の近くに置かれたのかもしれない」とダミンガー氏は指摘します。
つまり、男性が亡くなったとき、馬はまだ生きていましたが、彼が死後の世界でも愛馬にのって身軽に移動できるよう、親族か使用人が馬の首を落として一緒に埋葬したのでしょう。
馬の首は今のところ見つかっていません。
また、男性の家族は、彼を裕福かつ地位の高い人物として埋葬することで、自分たちが利益を得られるようにしたとも考えられます。
「埋葬の一つの機能は、故人をかつての地位と富で”演出”することであり、子孫や後継者がこの地位を維持できるよう主張することだった」とダミンガー氏は説明します。
発掘チームは同じ遺跡から、男性とほぼ同時代に生きていた他の数人の遺骨も発見しました。
たとえば、ある女性の遺骨は金のブローチを身につけて埋葬されており、中には、剣や槍、盾、矢じりなどの武器を持った状態で埋葬された男性の遺骨もありました。
チームは今後、首なし馬の調査を続けるとともに、同地の墓をより綿密に発掘していく予定です。
現在は、男性の副葬品の修復作業をしている最中で、近いうち、男性の歯や骨の分析を行うことで、死亡時の健康状態や死因、いくつで亡くなったかを明らかにできるといいます。