鞭打ち少年に選ばれるのは「出世の第一歩」だった?
鞭打ち少年に関する歴史的記録は少ないものの、いくつかの実例が書き残されています。
例えば、若き日のイングランド王・エドワード6世(1537〜1553)には、バーナビー・フィッツパトリック(Barnaby FitzPatrick)という少年が、体罰の代理人としてつけられていました。
1592年の記録によると、バーナビー少年は幼いエドワード6世が汚い言葉や冒涜的な言葉を吐いたときに、代わりに鞭打ちを受けたといいます。
あまりに可哀想な役割とお思いでしょうが、実は鞭打ち少年に選ばれることは王宮の中で出世するための大きな一歩と捉えられていたのです。
1852年に、著名な作家であったハートリー・コールリッジ(Hartley Coleridge)が、次のような記述を残しています。
「代理で鞭打たれることは、高貴な血筋の者にのみ許された特権だった。下位の貴族らは、我が子がその代理に選ばれることを、名誉の第一歩として切に願っていた」
鞭打ち少年は王族と最も親密な関係にあり、重要な情報を得ることで、より高い地位に就くことができます。
実際、バーナビー少年も王宮で最高の教育を受け、成人後には男爵となり、高名な貴族として生涯を過ごしたそうです。
その一方で、鞭打ち少年の存在が王子に反省を促したという事実に、疑問を抱く専門家は少なくありません。
例として挙げられるのは、若き日のフランス国王・ルイ15世(1710〜1774)です。
彼の家庭教師は王子の遊び相手となるようたくさんの少年を見つけてきて、先と同様に、王子が悪さをすれば、代わりに体罰を与えていました。
ところがルイ15世は少年たちがどれだけ殴られようと、勉学を怠り続け、不品行な行動をやめなかったと言われています。
鞭打ち少年を見て、心を痛めるかどうかは王子の資質に関わっていたのかもしれません。
この奇妙な風習は期待通りの効果があまり得られなかったのか、あるいは道徳心が許さなかったのか、時代とともに姿を消しています。
※この記事は2022年7月に掲載したものを再編集してお送りしています。
勉強と道徳的教育を分けるならば、道徳的教育には体罰が必要と云うことよ
すげーな
王族甘やかしすぎ
さぞ楽しかったんだろうなぁ