ネアンデルタール人やデニソワ人にない「最後の知恵の実」遺伝子
ペーボの開発した技術によって、ネアンデルタール人やデニソワ人など、現生人類に最も近いとされる種族の遺伝子が明らかになりました。
彼らの遺伝子は多くの点で現生人類に近いことが示されていますが、逆にいくつかの相違点も存在しました。
2022年9月2日に『Science』に掲載された論文では、特に胎児の脳で働くTKTL1と呼ばれる遺伝子が重要な違いを与えていることが示されています。
TKTL1は現生人類、ネアンデルタール人、デニソワ人、およびその他の霊長類に存在していますが、現生人類だけは1つのアミノ酸が変化しており、結果的に異なるタンパク質が生成されることが判明したのです。
そこで研究者たちは、現生人類のタイプの「新型TKTL1」遺伝子と、ネアンデルタール人たちのタイプの「先祖型TKTL1」遺伝子を用意し、それぞれをマウスとフェレットの胚の脳部分に組み込んでみました。
結果、現生人類タイプの「新型TKTL1」を組み込まれたマウスとフェレットの胎児の脳細胞数が有意に増加し、部分的な脳のヒト化を起こしていることが判明しました。
またヒト胎児から取り出した新皮質細胞の遺伝子を書き換えて「先祖型TKTL1」に変更したところ、胎児の脳組織が通常よりも少ないニューロンを生成することが判明します。
(※実験に使われた生きているヒト胎児の脳組織は、母親から文書での同意を得て提供された胎児脳を培養したものであり、倫理審査委員会の承認を受けています。なおプライバシー保護のため胎児の性別は明らかにされていません。詳しくは論文の補足資料を参照)
また同様の書き換えをヒトの脳オルガノイド(人工培養脳)で行った場合にも、脳オルガノイドのニューロン数が減少していました。
この結果は、現生人類の胎児脳ではネアンデルタール人やデニソワ人には存在しない新型タイプのTKTL1遺伝子が働いており、脳細胞を増加させる働きをしていることを示します。
以前の研究では、サルからヒトへの脳進化を促したARHGAP11Bと呼ばれる「知恵の実」遺伝子が発見されたことが報告されています。
ですが新たな研究では、新型タイプのTKTL1遺伝子がネアンデルタール人やデニソワ人などの旧人からヒトへの脳進化を促す効果が示されており「最後の知恵の実」遺伝子として機能した可能性があります。
現生人類が現在の高度な脳を獲得する過程で、私たち現生人類の先祖は複数の「知恵の実」遺伝子を食べていたのでしょう。
研究者たちは新型TKTL1遺伝子を持つ現生人類はネアンデルタール人やデニソワ人などの旧人に比べて認知機能の面で有利になったはずであると結論しています。
ネアンデルタール人やデニソワ人は進化の途中までは順調に「知恵の実」遺伝子を獲得してきましたが、最後の1つは取り逃してしまったようです。
このような重大な研究成果が得られたのも、元をたどればペーボ氏らがDNAの汚染を克服する方法を開発したからだと言えます。
現生人類と交配し子孫を残すことも可能なほど近縁にあったネアンデルタール人やデニソワ人の遺伝子が明らかになったことで、これからの遺伝子工学は「人類とは何か?」「人類はどこから来たのか?」という疑問を追及するとともに「どのような遺伝子変化が人類を作ったのか?」「どうすればヒト以外の存在をヒトに近づけられるのか?」という疑問にも挑んでいくことになるでしょう。