貴族特有の習慣が「日光不足」を招いていた?
男児のミイラは、オーストリア北部オーバーエスターライヒ州にある名門シュターレンベルク伯爵家の地下室で発見されたものです。
遺体は自然にミイラ化して枯れ果てていますが、全身が欠けることなく保存されており、精巧な絹の衣服も残っています。
地下室には他に、当時の伯爵家の所有者とその妻の遺体が見つかっており、この男児は、2人の間の長男であった可能性が高いとのこと。
埋葬時、男児の年齢は生後わずか10〜18カ月でした。
また、皮膚サンプルの放射性炭素年代測定から、男児は1550〜1635年の間に埋葬されたことが特定されています。
ただし、伯爵家の記録から、地下室は1600年頃に一度改装されているので、それ以降に埋葬されたものと思われます。
残念ながら、男児の棺には碑文がなかったため、正確な名前や生年月日は不明ですが、家系図から判断して、ライヒャルト・ヴィルヘルム(Reichard Wilhelm)という名前だったと推定されています。
しかし、この男児は、日々の生活に事欠かない貴族の出であるにもかかわらず、その短い生涯は明らかに健康的ではなかったようです。
研究チームは今回、男児の死因を解明するべく、CTスキャンを用いたミイラのバーチャル解剖を実施。
その結果、肋骨に栄養失調、それも「ビタミンD欠乏症」の典型的なパターンである奇形の痕跡が発見されました。
この症状は「くる病」と呼ばれ、ビタミンDの不足により、骨の石灰化が阻害され、強度が弱くなる病気です。
くる病はよく、足の骨のわん曲としてあらわれますが、男児の足に異常はありませんでした。
加えて、男児の肺を見ると、ビタミンD欠乏症の乳児に見られる「致死性の肺炎」の兆候も見つかりました。
くる病は必ずしも致命的な病気ではないため、こちらが直接的な死因となったようです。
脂肪組織の分析から、この男児は、同年齢の幼児と比べると、かなり肥満気味であることが判明しました。
そのことから、(お乳など)栄養源の摂取は十分にできていたと思われます。
ところが問題は、貴族生活に特有の「日光不足」にあったようでした。
ビタミンDは、食べ物から十分量を摂取できるものではなく、日光の紫外線を浴びることで、自然に皮膚上で産生されます。
しかし、当時のヨーロッパ貴族社会において、肌の白さは高貴さの証であり、貴族たちは陶器のような肌の白さを保つために、積極的に日光を避けていました。
その貴族ならではの習慣が、皮肉にも、小さな命を死に追いやってしまったのです。
その後、19世紀に入り、くる病が西欧で大流行した際に、ようやく「骨の形成に日光浴が重要である」ことが理解されています。
このように、日光不足によるビタミンD欠乏症は、過去の病気かと思いきや、実はそうでもありません。
特に昨今は、仕事も趣味も屋内でできることが増えたため、現代人の日光不足が懸念されています。
南オーストラリア大学(UniSA)の最近の研究では、オーストラリア人の3人に1人が日光不足によるビタミンD欠乏症にかかっていることが判明。
さらに、ビタミンD不足が早期死亡リスクを高めている強い証拠も得られました(Annals of Internal Medicine, 2022)。
ビタミンDの不足は、健康な成人でも、筋力の低下や骨の痛みを引き起こすことがわかっています。
心身ともに健康でいるためにも、1日1回は陽に当たるよう心がけましょう。