武装傭兵が農民を虐殺した「ゴットランドの戦い」
この陰惨な戦いは、1361年7月22日、スウェーデン南東に浮かぶバルト海最大の島・ゴットランド島にて勃発しました。
当時、デンマークを統治していたヴァルデマー4世(Valdemar IV、1320〜1375)は、領土を広げるため隣国のスウェーデンに侵攻。
スウェーデン南部のスコーネ地方とエーランド島を征服した後、さらに版図を拡大すべく、ゴットランド島に狙いを定めました。
デンマーク軍の兵力はおよそ2500人の武装傭兵、対するゴットランドは、ろくな訓練もしていない地元農民1800人が主力でした。
しかも、そのうちの3分の1は若者と高齢者だったことが分かっています。
ゴットランド北西の都市ヴィスビューで激突した両軍(ゆえに”ヴィスビューの戦い”とも言われる)には、ご想像の通り、戦闘力に残酷なまでの差がありました。
ゴットランド軍の農民はあっという間に惨殺され、大量の死者が出たといいます。
あまりに戦死者が多かったため、個別の丁寧な埋葬ができず、ほとんどがそのまま衣服ごと葬られたようです。
戦いの後、生き残った農民やその家族は、これ以上の虐殺を止めようとデンマーク軍に降伏。
略奪から街を守るため、大量の資源と財産を譲渡しましたが、ヴァルデマー4世は結局、ヴィスビューを征服し、ゴットランド王を自らの称号の一つに加えました。
戦死者の遺体は、1905年から始まる考古学調査で見つかり始め、これまでに5つの集団墓地が確認されています。
3Dデザイナーのシセロ・モラエス氏と研究チームは今回、そのゴットランド農民の遺骨から、特に重傷を負っている頭蓋骨に目を留め、生前の顔を復元することにしました。