アインシュタインを唸らせた天才ルメートルの宇宙論
ルメートルは幼少期にイエズス会の学校で学び、29歳でカトリック司祭となります。
その傍ら、宇宙物理学の勉強も熱心に続けており、非凡な才能を発揮しました。
1927年には「宇宙は膨張している」との説を主張しますが、当時「宇宙は不変である」と固く信じていたアインシュタイン(1879〜1955)はこれに反対しています。
しかしルメートルは1931年に、科学者が一堂に集まった会議にて、自説をさらに押し進めた「特異点から始まる宇宙膨張説」を発表。
「宇宙卵が創生の瞬間に爆発した」との表現を好んで使ったことから、反対者はこれを批判的に「ビッグバン」と呼ぶようになりました。
(「Bang:バン」とは爆発の擬音で、日本語ならボカーンと言っているようなニュアンスで、かなり馬鹿にした表現だった)
皮肉にも、これがのちの「ビッグバン理論」という名称の由来になります。
ルメートル自身は、自らの説を「原始的原子仮説(L’Hypothèse de l’Atome Primitif)」と呼んでいました。
この説は当時の科学界に激しい拒否反応を引き起こし、ルメートルは多くの非難を浴びました。
そんな中、「ルメートルこそ正しく、自分は間違っていた」と考えを改めた人物がいます。
アインシュタインその人です。
アインシュタインは1933年にルメートルが開いた「宇宙膨張説」に関するセミナーを聴き終わるや、立ち上がって拍手を送り、「この理論は私が今までに聞いた中で最も美しく納得の行く説明だ」と述べたという。
また後年、彼は「宇宙が不変だと信じていたことは私の生涯で最大の過ちだった」とも話しています。
(アインシュタインが考え方を改めた理由として、1929年にエドウィン・ハッブルが観測によって宇宙膨張を証明したことも関係する)
こうしてルメートルの説は徐々に賛同の声を集めていき、ついにロシア出身の理論物理学者ジョージ・ガモフ(1904〜1968)が1946〜48年に、彼の説を発展させた「ビッグバン理論」を打ち立てました。
一般的には、宇宙がビッグバン(大爆発)によって誕生し、高温高密度の”火の玉”状態から膨張とともに冷えていき、その中で銀河や恒星を生み出しながら、現在の宇宙の姿に至ったと説明されます。
現在ビッグバン理論については実際に起きたとされる明確な証拠があり、その1つが「宇宙マイクロ波背景放射(CMB)」です。
宇宙マイクロ波背景放射は宇宙の全方向で観測できるマイクロ波で、その正体はビッグバンの凄まじい光が宇宙の膨張とともにマイクロ波の波長まで引き伸ばされたこだまのようなものだとされています。
では次に、約60年ぶりに再発見されたルメートルのインタビュー内容を見ていきましょう。