障がい者の安楽死を合法化する危険性
オランダの法律では安楽死や自殺ほう助が行われるときには以下6つの基準が満たされなければならないとされています。
①患者の自発的意思(患者の希望がまず必要)
②耐え難い苦痛(身体的あるいは精神的)
③治癒の見込みがない(医学的に判断する)
④医師が第三者の医師と相談(複数の医師の意見を取り入れる)
⑤医学的に適切な方法で施行する(薬による死が一般的)
⑥医師が事後届け出をすること(記録を残すため)
現在、オランダなどでは安楽死の基準を満たすかどうかは医師の判断にゆだねられており、公開された安楽死のケースはどれもオランダの法律に照らし合わせて合法で、犯罪性はありません。
しかし調査結果について研究者たちは、知的障害や自閉症にみられる諸症状を安楽死のための理由に使うことについて危険性があると述べています。
知的障害や自閉症の症状を「耐えがたい苦痛」「改善の見込みがない」とすることは、同じ障害を持つ人々にネガティブな印象となる可能性があるからです。
知的障害や自閉症を理由に安楽死が許可されるという事実は、似たような困難を抱える患者たちに対してその状況が絶望的であると、暗黙のメッセージを発信していることになります。
たとえば、もし自分がある難病をかかえているとして、その難病に特例的に安楽死が認められた場合、気分がいい人はいないでしょう。
研究者の1人であるタフリー・ワイン氏の言葉を借りれば、「患者に対して死んだ方がマシ」と伝えるのと同義になりかねないからです。
他にも安楽死を受け入れる社会が問題になる場合があります。
個人主義が未熟な社会では、介護する家族の負担をなくすための安楽死や、周りを思って安楽死した人々を称賛する風潮、さらには「なぜ安楽死しないのか?」という自己犠牲的な安楽死を促す風潮など、個人の「権利」を置き去りにした圧力が形成される危険があります。
日本において安楽死の合法化が進まないのも、自己決定権が制度的にも社会的にも定着が進んでおらず、「他人のための安楽死」が蔓延しかねないからだと言われています。
精神科医であるブラム・シズー氏は
「自閉症の若者が安楽死を実行可能な解決策とみたしていることに動揺した。患者たちの中には死ぬことに対してほとんど興奮状態にある人もいる。彼らは自分の安楽死で自分の問題も家族の問題も終わると考えている」
と述べています。
安楽死は改善の見込みがない耐えがたい苦痛を避けるための医療処置であり、患者の家族や他人の負担を減らすためのものではありません。
個人主義が進んでいるオランダでも、他人のための安楽死が起こりかねない点は今後の議論において重要になるでしょう。
ブリティッシュ・コロンビア大学のステイトン氏は「知的障害や自閉症を持つ人々の死を助けることは本質的に優生学だ」と述べています。
またカナダなどオランダよりも規則の緩い安楽死法を制定している国では、安楽死にかんする記録を残していません。
そのため研究者たちは、今回明らかになった知的障害や自閉症患者の安楽死は、全体のごく一部に過ぎないと述べています。
安楽死がないとしても、日本における自殺の主な原因が健康問題であることを考えると、安楽死を合法化するべきという意見も理解できます。
しかし、人が死を選ぶのは苦痛よりも、希望がなくなったとき、というのはよく聞く話です。
安楽死の合法化によって、第三者である医師が死ぬこともやむを得ないと判断する症例は、今後生きようと努力する人たちの希望を奪うことにならないか、その社会的影響をよく考える必要があるでしょう。
また自身の耐えがたい苦痛を避けるという問題と、家族の負担になりたくないという問題を全く混同せずに安楽死の判断ができる人間というのも理想論のように感じてしまいます。
安楽死という制度は、個人の問題だけを論じているように見られがちですが、実際は社会的に非常に難しい問題を論じているのです。