先住民たちは大量生産品のせいで文化を手放したのではない
羊の毛を持つ犬たちは、19世紀にヨーロッパによる植民地政策が開始されると絶滅してしまいました。
そのため多くの研究者たちは、本物の羊から作られた大量生産された安価な毛織物がコーストセーリッシュ地域に流れ込んだせいで、人々は手間のかかる犬の飼育をやめてしまったせいであると述べています。
同様の西洋文化の流入による文化破壊が、世界各地で起きていたのは事実です。
日本でも進んだ西洋の文化や品々を取り入れる過程で、古来の建築物や文化遺産の棄却が進み、古来の技術が失われるケースもありました。
しかし精神的文化の支柱までは、失われませんでした。
便利な技術や安価な製品が流れ込んでも、和紙の製造法など精神的文化と結び付いた技法の多くは維持されていたのです。
長老たちのインタビューでも、西洋の安価な毛織物が流れ込んでも、人々の多くが羊の毛を持つ犬たちを大事に維持していた事実が明らかになりました。
人々は羊の毛を持つ犬たちを、他の犬とは違った専用の犬小屋または室内で飼育し続けていたのです。
では、何が犬たちの絶滅を起こしたのか?
そこで研究者たちは、19世紀に起きた別の現象に目をつけました。
すると今回の研究でDNAが採取された犬「マトン」が誕生した村では、19世紀になると定住者がわずか数十人まで減っていたことが判明します。
ヨーロッパ人の接触によって、おたふく風邪・結核・インフルエンザ・そして致命的な天然痘が流行し、人口の90%が失われていたのです。
さらに運悪いことに、1858年になると先住民の住む地域で金がとれることが判明した結果「フレイザーゴールドラッシュ」が発生し、多くのヨーロッパ人が流れ込んできました。
この大規模な侵入は先住民との間に紛争(虐殺)を引き起こし、わずか50年の間にさらに先住民の7割が失われたと考えられています。
羊の毛を持つ犬が生き残れるかは、世話をする人が生き残れるかどうかにかかっています。
耐性のない疫病の流行、植民地主義の拡大、虐殺、先住民の強制移住が立て続けに起こり、犬たちの品質を管理する能力が低下していきました。
ですが、それでも、コーストセーリッシュの人々は、精神的文化の柱を捨てませんでした。
母系制を持つコーストセーリッシュの女性たちは、犬の世話を続け、機織りによってブランケットを作り続けたのです。
しかしそれは、ヨーロッパの人々にとって異質と認識されることになります。