羊の毛を持つ犬を飼育することも機織りも禁じられた
ヨーロッパ諸国の植民地政策は、初期の頃には虐殺や離散(砂漠などに追放して強制的に飢え死にさせる比較的人道的な方法と考えられていた)など、極めて直接的かつ血なまぐさい方法がとられていました。
しかし次第に政策は「より人道的」とされる方法に変化していき、先住民の同化政策が始まりました。
またキリスト教を信じることが非人道的な虐殺を防ぐにあたり重要な要因になったため、ヨーロッパの宣教師たちは先住民の保護のために(親切心から)熱心な布教を行いました。
しかし母系制を持つコーストセーリッシュの人々の文化は、父系的なキリスト教にとっては異質であり、同化を難しくしていました。
同化政策では一般的に、同化の障害になる文化がある場合、それを維持するための行動を法律で規制する方法が取られます。
コーストセーリッシュの地域では、羊の毛を持つ犬の世話をしたり、機織りの技能を持っていた先住民女性がターゲットになりました。
宣教師たちの活動と政府の政策により、母系社会を破壊する法律が次々と成立し、社会における女性の役割が禁じられ、女性の政治参加、女性の財産権、女性の移動の自由が禁止されました。
また女性たちに対しては、羊の毛を持つ犬の飼育と、機織りも禁じられました。
そして先祖代々受け継がれ1枚1枚に名前が付けられていたブランケットも、取り上げられ、まるで魔女裁判のように燃やされてしまいました。
20世紀になると同化はよりシステマチックになり、先住民の子供を全て親元から引き離し、ヨーロッパ的教育(キリスト教化)を行うための全寮制学校に入学させることが義務付けられました。
この話をしてくれた長老は、同化政策を逃れた数人のうちの1人でした。
長老は「今、私たちはやっと、『犬が私たちから強制的に連れ去られた』と話す機会を得られた」と述べています。
そのためこの研究では、羊の毛を持つ犬たちが絶滅した原因について、先住民族が安価な毛織物に飛びついたからという説を、極めて短絡的な間違った結論であると主張されています。
研究者たちは、精神的文化をささえてきた存在はより強固かつ複雑であると述べています。
現在、長老たちやアーティスト、芸術家など複数分野の人々が集まって、伝統的な技法の再現が試みられています。
羊の毛をもつ犬たちが実際はどんな姿だったのかまだわかりませんが、遺伝工学の技術が進めば、羊犬たちを復活させられる日が来るかもしれません。