ワクチンの誕生と共に産声を上げた反ワクチン運動
しかしジェンナーの開発したワクチンがすぐに世の中に受け入れられたわけではありません。
ジェンナーは自ら開発した種痘に関する論文を当時のロンドン王立協会に提出しましたが、「種痘は危険」として却下され、自費で論文を発表しなければなりませんでした。
同時に、多くのロンドンの医師たちは、ジェンナーの天然痘ワクチンの安全性に疑念を抱いたのです。
またワクチンの元が牛の天然痘ウイルスであることから、「ワクチンを打った子供は牛になる」との非難が広まり、ワクチンへの反対が強まりました。
さらに風刺画家のジェイムズ・ギルレイは1802年に「新しい予防接種法の素晴らしい効果」と題する風刺画を描き、種痘を受けると牛になるという誤ったイメージを広めました。
なお、当然ながらワクチンを打って牛になるという現象は一切起こらなかったことは確認されています。
これらの反対意見や風刺は、当時の医学界においてジェンナーの種痘法が受け入れられるまでに多くの誤解と困難を生んでいたことを示しています。
その後ある程度ワクチン接種が進んだことによって天然痘が激減すると、今度は天然痘ワクチンの副反応が問題になっていきました。
天然痘ワクチンは10万人から50万人に1人の割合で脳炎が発症し、うち40%が命を落とすことになりました。
反ワクチン論者はこのことを理由にして天然痘ワクチンに反対する運動を行い、それにより再び天然痘の感染者が増えるということもあったのです。
なお天然痘ワクチンは様々な反ワクチン運動の影響を受けながらも世界中で接種が進められていきました。
そして1980年にはWHOが「地球上からの天然痘根絶宣言」を発し、天然痘は人類がはじめて根絶に成功した病気となったのです。
先述したような反ワクチン運動は現代の私たちからすればバカバカしく、信ぴょう性に欠けるものに見えるかもしれません。
しかし医療が高度に発展した現代ですら、ワクチンに関する荒唐無稽なデマや流言が飛び交っていることを考えると、人類史上初めてのワクチンに対してこのようなデマや流言が飛び交ったことはある種の必然なのかもしれません。