アルキメデスの知恵が買われた「シラクサ包囲戦」とは?
アルキメデスの生きた時代には、古代ギリシアとローマ軍との間で絶え間ない戦争が繰り広げられていました。
特に紀元前3〜2世紀半ばに3度にわたって起きた「ポエニ戦争」は、その最も大きな争いの一つでした。
これは一言でいうと、ローマ軍とカルタゴ(北アフリカに栄えたフェニキア人の国家)が西地中海の覇権をめぐって争った戦いです。
(ポエニという名称は、ローマ人によるカルタゴ人の呼び名)
この争いにアルキメデスのいたシラクサも巻き込まれるのですが、第一次ポエニ戦争においてシラクサはローマ側と同盟を結んでいました。
ところが、シラクサは第二次ポエニ戦争においてそれを解消し、逆にカルタゴと同盟を結んだことでローマ軍に包囲されることになります。
こうして勃発したのが「シラクサ包囲戦」(BC214〜BC212)です。
ローマ軍と戦うにあたり、シラクサ軍はアルキメデスに街を守るための兵器開発を依頼しました。
有名なのは「アルキメデスの鉤爪(Claw of Archimedes)」です。
これは城塞の縁に設置したクレーン状の腕部の先端に金属製の鉤爪を取り付け、それを近づいてきた敵船に引っ掛けて持ち上げることで転覆させるものでした。
イメージとしては下図のように、クレーンに取り付けた紐を人と家畜で後方に引っ張って鉤爪のアームを持ち上げたと考えられます。
そしてもう一つ、歴史家の間で大いに注目されてきたのが「死の光線(death ray)」です。
これについては2世紀の著述家ルキアノスによって、アルキメデスが鏡を用いて敵船に次々と火を起こし撃退したという記述が残されています。
しかしこれ以降の歴史家や科学者たちは、「死の光線」が本当に実現可能なのか大いに疑問を抱きました。
特に14〜16世紀のルネサンス期以降に熱い議論が始まり、フランスの有名な哲学者であるルネ・デカルトなどは「科学的に不可能だ」と反対の意を唱えています。
ところが、ここ数十年の研究で「死の光線」は実現可能だったことが示唆されつつあるのです。