アルキメデスの「死の光線」を作ってみた!
「死の光線」の仕組みは、現代の小学生でも十分に理解できるシンプルなものです。
簡潔にいえば、太陽光を一点に集光して熱を発生させるというもので、多くの人が虫眼鏡を使って厚紙に火をつける実験で経験済みかもしれません。
アルキメデスの時代にも、ピカピカに磨いた青銅の鏡を用いて太陽光を集光する技術はすでに存在しました。
この「死の光線」の実証テストとして初期のものが、1973年にギリシアの科学者チームによって行われています。
ここでは縦1.5メートル、横1メートルの銅で覆われた鏡70枚を設置し、約50メートル先のローマ軍艦に見立てたベニヤ板の模型に太陽光を照射したところ、ものの数秒で板に火がついたと報告されました。
ただ、この実験ではベニヤ板にタールが塗られていたため、実際より燃えやすくなっていた可能性が指摘されています。
そこで米マサチューセッツ工科大学(MIT)は2005年に、タールを塗っていない木製の模型船を用いて新たな実験をしました。
MITのチームは、30センチ四方の小さめの鏡を127枚用意し、それらを円弧状に並べて、30メートル先の模型船に集光しました。
その結果、模型船の表面に斑点状の焦げ目が生じ、照射からわずか11分後に点火が確認できたのです。
その一方で、空が曇り出した状態では10分間の照射を続けても点火が見られなかったという。
以上の結果からチームは、気象条件さえ整っていれば「死の光線」は十分に実現可能だったろうと述べています。
しかし研究者の中には、シラクサはシチリア島の東岸に面しているため、効果的に太陽光を集光させる時間帯は朝方に限られていたのではないかと指摘する意見もあります。
そのため「死の光線」がメインの兵器として機能した可能性は低く、火矢やカタパルトの方が実用的だったかもしれません。
ちなみに直近ですと、12歳の少年が自作した縮小版の模型セットで「死の光線」が実用可能だったことを発表し、児童科学賞を受賞しています(CSFJ, 2024)。
他方で史実に戻ると、シラクサはアルキメデスの奮闘も虚しく陥落し、ポエニ戦争もローマ軍の勝利で幕を閉じています。
これ以降、ローマは共和制の本質を転換させ、本格的なローマ帝国として世界に冠たる最強国家となっていきました。
そして当のアルキメデスはシラクサ陥落後に、ローマ軍司令官のマルクス・クラウディウス・マルケッルスの命令に反して殺害されています。