飢饉だけではない、江戸の少子化の原因
しかし江戸時代中期になると人口の増加は停滞しました。
江戸幕府は1721年以降、定期的に庶民の人口調査を行っていましたが、1721年時点では2607万人の人口は、江戸時代末期の1846年になっても2691万人で、約120年間人口がほとんど増えていなかったのです。
その理由に1つは、江戸時代に大きな飢饉が相次いだことが挙げられます。
というのも江戸時代中期の18世紀は世界的に見ても寒冷期であり、日本でも農作物の不作によって享保の大飢饉(1732年)や天明の大飢饉(1782~1787年)といった壊滅的な飢饉を引き起こしました。
(※14世紀半ばから19世紀半ばにかけては、地球の平均気温が低くミニ氷河期と呼ばれている)
それにより日本全国で多くの餓死者を出すことになり、人口に大きな打撃を与えることになったのです。
またこうした大飢饉を繰り返し経験した人々は、飢饉時に限らず日常的に子供をあまり多く持たないようにしたため、1750年に行われた人口調査では東北地方や関東地方、九州地方の一部地域にて女子100に対して男子120という男女比の偏りを記録していました。
子供の持てる数を制限すると人口の男女比が男子に偏ってしまうという傾向は、親たちが「多くの子どもを育てられないのであれば、できれば将来家の労働力となってくれる男の子が欲しい」と考えるためです。
実際、一人っ子政策を実施した中国でも同様の傾向が確認されており、中国の結婚適齢期(20~40歳)の男女比は2020年時点で女子100に対して男子109だと報告されています。
当然女子の数が減れば、一定期間内に出産できる子供の数は制限されることになります。
このような間引きは生活水準の低下を避けるために行われており、現代社会でよくみられる「生活レベルが下がるから子供を作らない、もしくは少ししか作らない」という行動は江戸時代中期にはすでにあったことが窺えます。
このような状況に対して、幕府は間引きを禁止したり、現代の政府も行っているような育児支援の給付金を支給するなどといった政策をとりましたが、あまり効果を上げることはできませんでした。