マジシャンの概念を革新したウーダン、「近代奇術の父」に!
そしてウーダンは1845年にパリの劇場でプロのマジシャンとしての初演を果たします。
このとき、彼はすでに40歳となっていました。
しかし彼の舞台パフォーマンスはそれ以前のマジックと大いに一線を画すものだったのです。
ウーダン以前のマジックというと、黒魔術的な演出が主流であり、暗い照明にドクロのような装飾品を並べたいかがわしいステージングをしていました。
マジシャンも大きな黒いコートを着た不気味な出立ちで、演じるマジックも降霊術や黒魔術のようなものばかりでした。
ところがウーダンは明るい照明でステージを彩り、衣装も夜会服(燕尾服)やシルクハットという清楚なものを着用しました。
今となっては古いイメージかもしれませんが、「マジシャンといえば燕尾服にシルクハット」という代名詞はウーダンが作り出したものとされています。
さらにパフォーマンス面でも前時代にはないオリジナルのマジックを次々と披露しました。
時計職人としての技術を活かした機械人形との共演や人や物が空中に浮かぶ錯覚を作り出す浮遊マジックなど、現代にも残る数々のマジックを考案しています。
このようにマジックのイメージを刷新した功績こそ、ウーダンが”近代奇術の父”と呼ばれる所以なのです。
ウーダンの最新マジックはすぐにフランス中で話題となり、さらに海を越えてイギリスでの興行も行っています。
約10年の間、ウーダンは数々のマジック公演を成功させ、一流マジシャンとして人々の知るところなりました。
その後、ウーダンは1855年にプロの世界から身を引き、地元ブロワの農場に落ち着いています。
しかしマジックの神様はもう一つ、彼に重大な使命を課しました。
それがフランスの命運を賭けた世紀のマジック対決だったのです。