アルツハイマー病では「代謝の暴走」が起きている
私たちの巨大な脳は、かなりの大食らいであり、成人の1日の消費カロリーの20%を占めることが知られています。
脳には筋肉のような機械的仕事を行う組織はありませんが、脳内では無数の脳細胞の間で電気信号が飛び交っており、カロリーの多くはこの電気活動のために使われているのです。
筋肉で消費するエネルギーを現実世界の車のエンジンでたとえるならば、脳で消費されるエネルギーはPCのCPUに近いと言えるでしょう。
一方、これまでの研究により、アルツハイマー病患者の脳ではアミロイドβやタウタンパク質の蓄積をはじめとしたさまざまな異常が報告されており、その1つに、ある代謝経路「トリプトファン代謝経路」の暴走が含まれていると考えられていました。
代謝経路をわかりやすく言い換えば、細胞という工場にある、エネルギー生産ラインの1つと言えるでしょう。
つまりアルツハイマー病患者の脳細胞では、あるエネルギー生産ラインが制御不能の暴走状態に陥っているのです。
細胞が生きていく上でエネルギーは多いに越したことがありませんが、特定のラインだけが暴走してしまうと、他のラインに向かうハズだった物資がどんどん吸い取られ、細胞全体として正常な活動ができなくなってしまうのです。
たとえばニューロンのまわりにいるアストロサイトは乳酸を生成し、それがニューロンに送ってエネルギー源として使用してもらっています。
しかしトリプトファン代謝経路が暴走するとこの機能が上手く働かなくなってしまい、ニューロンがエネルギー不足に陥ってしまいます。
脳のエネルギー不足は思考力と記憶力を低下させ、アルツハイマー病の病状をより重いものにしてしまいます。
がん細胞でも同じ「代謝の暴走」が起きている
興味深いことに、同様のエネルギー生産ラインの暴走は、がん細胞でも起きていることが知られいます。
活発に増殖を続けるがん細胞は常にエネルギーに飢えているため、エネルギー生産ラインの暴走を頻繁に起こします。
がん細胞は体を維持するための「正常な機能」を無視して増殖することが可能であり、いくつかのラインの暴走が起きても問題はありません。
また困ったことにがん細胞でトリプトファン代謝経路の暴走が起こると、免疫細胞(特にT細胞)の活動を抑制してしまうという非常に厄介な性質を持っています。
そこで開発中の抗がん剤はトリプトファン代謝経路で重要な役割をする酵素IDO1の働きを阻害することを目指します。
暴走する生産ラインの中で中核的な役割をしている歯車がIDO1だとするならば、そこに接着剤を流し込むようにして動きを鈍らせるのです。
こうすることでがん細胞は暴走しているエネルギー生産ラインだけでなく、免疫活動を抑えられる隠れ蓑も同時に失うことになります。
動物実験においてこの試みは非常に有望であり、IDO1阻害薬は抗がん作用を持つことが示されました。
(※特に免疫チェックポイント阻害薬と併用することで効果を高められました)
以上の2つの結果は、アルツハイマー病の脳細胞でもがん細胞でもラインの暴走を防ぐことが治療に繋がることを示しています。
そこで今回スタンフォード大学の研究者たちは開発中の抗がん剤がアルツハイマー病の治療にも役立つ可能性を調べることにしました。
もし抗がん剤として開発されたIDO1阻害薬がアルツハイマー病で暴走しているラインを抑えることができれば、脳細胞の機能を正常化させられる可能性があるからです。