風俗店兼カジノで行われていた弓術、石を持ち上げるスポーツも
さらに射るスポーツも行われており、楊弓(ようきゅう)という小型の弓を使った射的も行われていました。
この楊弓では的に矢を当てた場合に商品が貰えるという仕組みになっており、この商品は時代が下るにつれて徐々に豪華になっていきました。
また楊弓の競技場の矢場では矢を拾ったり客への応対をしたりする女性スタッフがいましたが、こちらは時代が下るにつれて客に対する売春行為をするようになりました。
そのため矢場は賭博場と売春宿を合わせたようなものすごく不健全な施設になり、幕府から幾度となく取り締まりを受けることとなったのです。
しかし幕府の取り締まりもむなしく何度もよみがえり、幕末には全盛期を迎えることとなりました。
一方で力比べをはじめとする原初的なスポーツも、江戸時代を通して行われていました。
具体的には重たい石を持ち上げて自分が持っている力を競い合う力石という行事が行われており、農村部だけではなく江戸の町でも何度も行われていたのです。
なお当時はしっかりとした規格がなかったこともあり、持ち上げる石の重さに関しては一概には言えないものの、江戸のある地域で行われていた力石では157.5kg~236.3kgの石で行われていたとのことであり、持ち上げるハードルはかなり高かったことが窺えます。
また綱引きも全国各地で行われており、江戸では毎年6月9日に隅田川に架けられている川の北側に住んでいる人と川の南側に住んでいる人で千住大橋にて綱引きが行われていました。
しかし綱引きの前に北組と南組の両チームが興奮状態になって闘争を始めるということが何度も続いたことにより、1830年代頃に綱引き大会が中止されたとのことです。
他にもどちらが速く走ることができるかを競い合う「かけくらべ」というスポーツもありました。
なお当時は現在のような計測器具がなかったということもあり、同時にスタートして先に到着した方を勝者とするルールで行われていました。
江戸時代のスポーツは現代と全く異なっているものや現代ではとてもできないようなものもあるものの、現代まで続いているスポーツや系譜を受け継いでいるスポーツもあり、こうしたところに歴史の面白さを感じます。
力石では持ち上げた人の名を石に刻める名誉に預かれた。
今でも全国至る所に力自慢の名を刻んだ石がある。
願掛けだったり、ご当地力自慢で村おこしみたいな意味もあるのを原初的なスポーツで済ましていいものだろうか