私たちがまともな世界線にいるのは単に「豪運」のお陰なのか?
量子力学の奇妙な性質の1つに「観測によって状態が確定する」というものがあります。
量子の世界では1つの粒子の場所を定めることはできませんが、観測を行った途端に1つの場所にあることが確定されます。
この現象をどのように解釈するかについては、長年に渡り議論が続いています。
主流となるコペンハーゲン解釈では、量子の世界では、実際には、1つの粒子が場に広がるように存在しており観測によって、広がっていた状態から1つの定まった位置に顕在化すると主張されます。
一方、多世界解釈(MWI)と呼ばれる解釈では、私たちが観測する「現実」は、実は無数に存在する並行した「世界」の一つに過ぎないという考え方をします。
1つの粒子の存在できる場所が10カ所存在するときには、観測によって10の世界線に分岐するわけです。
この解釈を使うと、量子世界の曖昧さを取り除き、古典的な物理学に沿って世界を理解することができます。
多世界解釈の考え方は量子世界の曖昧さを肯定する主流派の解釈と比べてシンプルであることから根強い人気があり、また並行世界の存在はSF的な好奇心を刺激するため、多くの作品にその概念が取り入れられています。
しかし多世界解釈には1つの大きな弱点がありました。
多世界解釈に従ってシュレーディンガーの波動方程式を解くと、確かに無数の並行世界が存在するかのような結果が得られます。
ですがその「無数」の並行世界中には「冷たいものが暖かいものを加熱する世界」や「通れないはずの壁をすり抜けてしまう世界」など、古典的な物理学の常識が通じない結果も含まれています。
場合によっては今回の研究のように「時間の矢が逆転しているように見える世界」も考慮される場合があります。
SF作品に登場する並行世界は登場人物が物語をスムーズに進行できるように、ある程度、元の世界の常識が通じるように描かれています。
しかし多世界解釈を「公平」に描くならば、摩訶不思議な現象がマクロな世界に顕現している可能性も考慮しなければなりません。
にもかかわらず、私たちの記憶しているマクロな現実世界は、そのような摩訶不思議な状態に突入してはいません。
私たちが常に古典物理が優勢な世界線を引き当て続けている「豪運」の持ち主である可能性も、なくはありませんが、おそらくそうではないでしょう。
観測によって生じる並行世界には、明らかに私たちの常識が通じる世界(古典的世界)が選好されていると考えるほうが妥当でしょう。
問題は、なぜ生成される並行世界にそのような偏りが生じるかです。