頻繁にあった感染症の流行

奈良時代の疫病史を紐解いてみると、感染症はまるで嵐のように周期的に襲来し、去ってはまた訪れるものでした。
現代の人間には病気の流行は可視化されていますが、ウイルスも細菌も知らない当時の人達には理解の難しい問題でした。
まず、奈良時代には疫病の波が幾度も押し寄せていたことが『続日本紀』などの古文書から伺えます。
697年から791年までの約100年にわたり、疫病は38回、そしてそのうちの11回はまさに「大流行」と呼ばれるべき規模で人々を苦しめたのです。
特に疫病が多発した期間を見てみると、697年から721年、732年から741年、757年から791年の3つの時期が頻発期と呼べるでしょう。
いずれも疫病がひっきりなしに流行し、社会に深い爪痕を残しています。
こうした疫病の流行には、いくつかの周期がありました。
頻発期とそうでない時期が交互に現れるというこのパターンは、当時の人々には不気味で理解しがたいものであったに違いないでしょう。
たとえば、697年から713年の頻発期では、疫病が27回も流行しました。
そのうち大流行が2回、その他の流行が25回と、ひとたび発生すれば容赦なく広がったことがわかります。
しかし、不思議なことに、次の714年から732年には一転して疫病の記録が途絶えているのです。
この時期は疫病の足音がしばし遠のいたことで、人々もほっと胸をなでおろしたに違いありません。
この時期について、ある学者は「この時期は女帝が統治しており、政治が退廃して疫病の記録が残らなかったのではないか」と分析しています。
しかしながら、同じ時期に飢饉や干ばつの記録は豊富に残っているため、果たして疫病だけが記録されなかった理由にはやや疑問も残るのです。
むしろ、当時の衛生環境や医療水準を考えれば、一定周期で発生と沈静を繰り返す疫病の特性がそこに現れているのかもしれません。
さらに、疫病の周期は、気温の変動とも不思議とリンクしています。
疫病が流行した時期と気温が上がった時期は重なる傾向が見られるのです。
平均気温が高くなると疫病が広がりやすく、逆に気温が下がると流行が収まります。
最後の760年から791年にかけては、32年間で16回の流行と6回の大流行が起き、頻発期の真只中でした。
だが、しばしば3年以上疫病が姿を消す小さな間欠期も挟んでおり、気候や人々の生活環境など様々な要因が影響していたことが推測されます。
疫病の流行と消失は、人々の生活に時に希望を、時に絶望を与えたに違いありません。
その周期は風のように捉えがたく、まるで神や自然が人の営みを見守りながら、緩やかにそして容赦なくその身に試練を課していたかのようです。