宇宙に行くと精子はぐだぐだになる?
本研究の目的は、新鮮なヒト精子サンプルをパラボリックフライト(放物線飛行)に晒し、精子の運動機能や生存率への微小重力の影響を明らかにすることでした。
パラボリックフライト(放物線飛行)とは宇宙空間に行かずに微小重力環境を作り出す方法です。
具体的には、水平飛行している航空機の機首を上げ、約45度まで上がった状態でエンジンを停止し、その後、放物線を描くように機体を自由落下させることで、機内を一時的に微小重力状態にするのです。
パラボリックフライトは宇宙飛行士の訓練やハードウェア機器のテストなどに使われています。
今回の実験は2020年9月から11月にかけて実施され、15名の男性ボランティア(平均年齢34.8歳)から健康な精子サンプルを採取しました。
精子サンプルはWHO(世界保健機関)の基準に従って、男性ボランティアに2〜5日間の性的禁欲をしてもらった後、自慰行為によって採取され、滅菌容器に集められています。
そして精子サンプルの半数は地上に置いたままにし、もう半数を航空機に乗せてパラボリックフライトによる微小重力環境に晒しました。
両グループの精子サンプルはともに人の体内と同じ約37℃の温度下に置かれています。
その後、両グループの精子サンプルを調べた結果、微小重力に晒された精子は地上にあった精子に比べて、運動機能が大きく低下していることが判明したのです。
特に精子が目標に向かってどれだけ速く移動できるかを示す曲線速度(curvilinear velocity )が微小重力グループでは大幅に落ちており、これは宇宙空間では精子が卵子に向かってうまく移動できなくなる可能性を示唆するものでした。
加えて、微小重力に晒された精子は地上にあった精子に比べて、生きた精子の数が有意に減少しており、生存率が低下することも判明しています。
研究者は「生きた精子の完全な喪失には至らなかったものの、微小重力環境は精子の活力や運動機能を著しく低下させる」と指摘。
その上で「微小重力への曝露期間が長ければ長いほど、その悪影響はさらに大きくなることが予想できた」と話しています。
この結果は、宇宙滞在中の妊娠がやはり地上に比べて困難になりやすいことを示すものです。
ただ精子は微小重力に晒されても、DNAが断片化したり、精子の形状が変わったり、酸化ストレスを受けることがなかったようです。
とはいえ、なぜ精子は微小重力下で運動機能などが低下してしまうのでしょうか?
精子は、進行方向を決定する際に化学的なシグナル(化学走性)や温度勾配(温度走性)に基づいていると考えられているため、人間のように上下が分からなくて混乱し運動機能が低下するという可能性は考えにくいものです。
そのため研究者が考えているのは、急激な重力変化や微小重力が細胞の内部環境や代謝に影響を与えている可能性です。
重力変化が細胞のエネルギー生成プロセスに影響を及ぼし、運動に必要な栄養の供給を低下させる可能性があります。また精子の運動にはカルシウムイオンやプロトンポンプの適切な動作が必要ですが、重力の変化がこれに干渉する可能性があります。
また微小重力が鞭毛運動の効率低下を引き起こしている可能性も考えられています。
いずれにせよまだ、微小重力が精子の運動機能や活力を低下させる明確なメカニズムを明らかにできていませんが、私たちが宇宙空間に行くとフワフワ浮遊してしまうように、精子も微小重力下ではぐだぐだになってしまうようです。
チームは次なるステップとして、この微小重力が精子に及ぼす影響の科学的メカニズムを明らかにしていきたいと考えています。
今後、人類が地球以外のどこかに居を構えて、新たな繁栄の道を切り拓くには、安定した出産プロセスの確立が必要不可欠です。
ただこの問題が解決されない限り、宇宙旅行でできちゃったというニュースを聞くことはなさそうです。