「お鹿様」に迫りくる遺伝的な危機
いわゆるお鹿様は、国の天然記念物「奈良のシカ」に登録されています。鹿せんべいを貰う時にお辞儀する姿も愛され、観光資源としても重要な存在です。
しかし、目立った天敵もなくぬくぬくと増えているシカは、奈良市で農作物被害も出しており問題になっているという側面もあります。
この農業被害問題は昔からあって、江戸時代前期の17世紀末頃には農業被害対策としてお鹿様を町の外へ出さないため大規模に「鹿垣(ししがき)」が巡らされていました。
現代においては、奈良県は奈良市内を保護地区、管理地区、緩衝地区の3つに分けることにしました。3つの地区のうち、管理地区では農業や林業の被害対策のため、シカの捕獲事業を行うことにしたのです。この事業は2017 年度より実施されています。
ここで問題になるのは、管理地区で捕獲されたシカたちはどこから来たのか?ということです。保護地区から来たお鹿様なのでしょうか?
研究チームはこれについても調べました。奈良市内のシカの血縁関係をDNA解析によって調べました。そうやって管理地区のシカの由来や交配の状況を調査。
その結果、管理地区では市外からやってきた個体が多いことがわかりました。お鹿様とは違うグループのシカたちです。しかし、その一部は保護地区にも入り込んでいる可能性が高いことがわかりました。市外のシカがお鹿様の中にしれっと入り込んでいるということになります。
さらに緩衝地区に近い管理地区では、保護地区由来のお鹿様と市外から来たただのシカが混在し、交配していることもわかりました。お鹿様が他のグループから長期間孤立していたことや、遺伝子レベルで他のシカとは違うお鹿様の特徴は変化しつつあるのでしょうか。
シカは一頭のオスが何頭ものメスを引き連れて群れを作る動物です。オスは若いうちから群れを離れ、メスを求めて移動します。そんな中で保護地区に入り込んでくることがあるかもしれないし、保護地区から出て緩衝地区に入り込んでくることがあるかもしれません。
調査研究の結果、1000年を超えて他にはない遺伝子を獲得してきたお鹿様は周辺地域と近縁ではあるものの独自の遺伝子型を持つ集団であることがわかりました。これは奈良周辺地域にはお鹿様以外のシカがいなかったこと、お鹿様は神鹿として保護されてきたことにより1000年以上、他地域のシカとは違ったDNAを持って生き残ってくることができたということです。
同時に、他地域のシカが保護地区に入り込むことで、1000年以上保たれてきた血統が変わってしまうかもしれない危機的状況に置かれていることもわかってきました。
権威のある寺社から神鹿とされた結果、他地域のシカとは違うDNAを持つことになった奈良のシカ。
実は江戸時代から続いている角切りという人への安全対策と鹿せんべいの販売以外は放置されている、人を見れば逃げる野生動物とは異なる、DNAレベルで他地域のシカとは違う「お鹿様」を脅かしているのは観光客でも管理地区でもなく、ほかでもないシカそのものでした。奈良のシカを、今後どのように血統まで保護していくのか、課題は大きいように思います。
ある程度緩い管理が逆に血が濃くなりすぎるのを抑制しているようにも見え、1000年もそれで保っている以上は、厳格な管理はかえって問題を起こしそうに思います。遺伝子以外にも群れの文化として街での行動が継承されているでしょうから、域外からの流入があってもそう簡単には変わらないのでは。
同意見です
DNAが特殊なのは79個体まで減少した時点で近親交配がすすみDNAの多様性が失われたと言う見方もできそうです。
今後、気温や環境変化に適応できず滅ぶ可能性も高まっているかもしれないと考えると適度に交雑するのはお鹿様にとっても必要なことに思えます。
過酷なボトルネックを経てようやく個体数は回復したものの、遺伝的多様性は貧弱で危険な状態だと思われます。神鹿などとありがたがって(人為的な付加価値をつけて)完全隔離すると、新たな感染症の流行など何かの拍子に一気に絶滅するリスクがあります。生物学の素養があれば、みな同じような懸念をもちますね。