15年間をどうやって生き延びたのか?
先に述べたように、トロムラン島は「砂の平地」と呼ぶにふさわしい過酷な場所です。
背の低い草木がまばらに生えているだけで、高い樹木がなく、家を作ったり、焚き火をするための木材もありません。
さらにこの海域は毎年10月から翌5月まで強力なサイクロンが断続的に発生する危険な領域です。
実際、1986年には時速280キロ(!)という突風が記録され、島に生息していたネズミが壊滅する事態が起きています。
食糧もない、家を作る材料もない、突風から隠れる場所もない…
こんな状況下で、どうやって15年間も生き延びることができたのでしょうか?
ゲルー氏らのチームは2006年から計4度にわたる発掘調査を行い、その驚くべき秘密を明らかにしました。
まず彼らが見つけたのは石を材料にして作られた居住施設でした。
トロムラン島には木材がないものの、海岸沿いには石が大量にあったため、生存者たちは砂を掘って壁に石を積み重ねて、居住スペースを作り出していたのです。
また天井にはリュティール号が残した木材を張ることで屋根とし、雨風を凌いでいたと見られます。
それからリュティール号の帆は人々の衣服に仕立て上げられていました。
それでも暴風の魔の手から完全に守られることは困難だったらしく、住居が何度も壊されては建て直された痕跡が見つかっています。
彼らは最終的に10棟ほどの住居をより集めるように密集させて小さな集落を形成していました。
リュティール号の木材は他に、火を焚くために慎重に利用されたこともわかっています。
また飲み水用に雨を受けるための器も見つかりました。
食糧については周りが海なので「魚が主軸だろう」と思われましたが、意外にも遺跡から出土した動物の骨のうち、魚の骨はわずか3%に過ぎませんでした。
おそらく、釣り用の船がなかったせいで海に出ることが難しかったか、生存者の多くがマダガスカルの内陸部出身だったため、釣りの心得がなかったことが関係していると指摘されています。
一方で、出土した骨の90%以上を占めていたのは「セグロアジサシ」という鳥のものでした。
セグロアジサシは毎年7月から翌1月までトロムラン島に棲みつくので、その間の主食にしていたと見られます。
加えてゲルー氏らは「生存者たちは鳥や魚の他にウミガメを主食にしていた可能性が高い」と話します。
トロムラン島はウミガメの産卵地として知られており、警戒心が強く動きも俊敏な鳥よりも狩るのが圧倒的に簡単です。
また卵も貴重な栄養源として利用できます。
ゲルー氏らの試算によると、生存者たちは15年の間に鳥を約9万羽、魚を約2500匹、ウミガメを約400匹食べたと見積もられています。
しかしこれらとは別に、もう一つ注目すべきものが見つかりました。
遺跡から2体の人の遺骨が発見されたのですが、どこを調べても暴力や食人行為の痕跡は一切見つからなかったのです。
その他の数十名の遺骨は見つかっておらず、彼らがどのように仲間を弔ったのかはわかりません。
埋葬ではなく、水葬に伏した可能性もあります。
ただここから推察されることは、生存者たちはどんなに極限の状況でも互いに傷つけ合うことなく、仲間と助け合い、尊重し合って15年間を生き延びたことです。
それでもあまりの過酷さに次々と命が失われていきましたが、彼らが命をつなぐことを諦めなかった結果、7人の女性と1人の赤ん坊を生きて帰すことができたのでしょう。