液体っぽさを示す「デボラ数」によれば、猫はかなり液体だった
日常生活の感覚では、固体は硬くて形が変わりにくいもの、液体は自由に流れて形を変えるもの、といったイメージがあります。しかし、科学的な観点で「固体」と「液体」を厳密に区別しようとすると、意外に複雑です。
固体では分子同士が強く結合し、規則正しい配列(結晶構造)をとることが多いため、大きな力を加えない限り形状を保ちます。
一方、液体では分子間の結合は弱く、分子が互いに移動し合うことができるため、一定の形状を維持せず、容器に合わせて形が変わります。
もう少し身近な尺度で見ると、「形を保持する力」が強いか弱いかが両者の違いです。
固体は基本的に自分の形を保ち、外力を加えてもすぐには流れ出しません。
液体は形を保持できず、重力や外力が作用すると流動し、時間の経過とともに容器の形に合わせて変化します。
とはいえ、実際には「固体」と「液体」のどちらか一方にバシッと分類できない物質も多く存在します。
そこで登場するのが「流動学(レオロジー)」と呼ばれる、物質の“変形や流動”を研究する学問分野です。
流動学は物質が力を加えられたとき、どのように変形したり流動したりするかを扱う学問です。粘度や弾性率などの指標を用いて、固体と液体の中間的な性質を含め、さまざまな物質のふるまいを数値的に分析します。
同じ物質でも、力のかけ方や観察する時間の長さによって、固体的に振る舞ったり液体的に振る舞ったりします。
たとえば、ガラスやアスファルトは、日常の感覚ではしっかりとした固体として認識されます。
しかし、これらの物質も「粘性」や「分子間力」と「重力」という三者の絶え間ない綱引きの結果として、非常に長い時間スパンで見るとゆっくりと流れる性質を持っているのです。
ガラスは実は「非晶質固体」と呼ばれる状態にあります。通常の使用期間では、その分子構造はほとんど変化せず、私たちが触れる限りでは頑丈な固体に見えます。
しかし、科学的な実験や長期にわたる観察によれば、ガラスは非常にゆっくりと、しかし確実に流れる性質を持っています。
たとえば、古い建物の窓ガラスの下部が厚くなっているという現象は、ガラスが重力に従って長い年月をかけて下方向に流動している可能性を示唆する一例です。
これは、分子レベルでのゆっくりとした再配置が起こっているためであり、短い時間では固体のように安定して見えるものの、数百年、あるいは数千年というスケールで見ると、まるで超高粘度の液体のように振る舞うと考えられます。
同様に、アスファルトも普段は道路の舗装材として「固体」として利用されていますが、実は温度や荷重の影響を受けると、非常にゆっくりと変形していく特性があります。
夏場の高温時にアスファルトがわずかに軟化し、車両の重みで微妙に変形する現象は、短期的には固体としての役割を果たしながらも、長期的には流動する性質を持つ非ニュートン流体のような振る舞いを示しているのです。
このように、粘性や分子間力と重力の絶え間ない綱引きが、短時間では固体のように見える物質にも長い時間が経過すれば液体的な流動をもたらすのです。
こうした現象は、物質の状態が一概に「固体」または「液体」と決めつけられるものではなく、観察する時間軸や外部条件によって大きく変化する可能性を示しています。
猫が液体といわれる背景には、「観察する時間や状況を変えれば、猫の身体が容器に合わせて“流れる”ように見える」という視点があるのです。
フランスの物理学者マルク=アントワーヌ・ファルダン(Marc-Antoine Fardin)氏は、もともとソフトマター物理学(柔らかい物質のふるまいを研究する分野)を専門としていました。
あるとき、インターネット上で「狭い容器に猫がすっぽりと収まる姿は、まるで液体のようだ」というミームに着目し、「ならば実際に猫をレオロジー(流動学)の観点で考察してみたら面白いのでは?」と発想しました。
このユーモアあふれるテーマを真剣に分析した結果をまとめた論文こそが「On the Rheology of Cats(猫のレオロジーについて)」です。
ファルダン氏の論文では、レオロジーで用いられる基本的な概念(粘度や弾性率など)が、どのように猫の身体の挙動に当てはめられるかが示唆されています。
例えば、同じ物質でも「観察する時間スケールを変えると固体的にも液体的にも見える」という点を、猫に応用しました。
具体的にはデボラ数(De)という値を使って「物質の流動性」を定量的に評価します。
デボラ数は、観測時間と、物質が形を変えるのに必要な時間である緩和時間の比で定義されておりデボラ数が 1 未満なら「液体的」でありデボラ数が 1 以上なら「固体的」とみなせます。
たとえば、水は緩和時間がごく短いので(注いだ瞬間に形を変える)、普通にコップに注ぐ程度の観察時間ではデボラ数が非常に小さく、明らかに“液体”と言えます。
一方、ハチミツは流れるのに少し時間がかかるため、同じ観察時間だとデボラ数は水より大きくなり、やや“固体寄り”に見えることがあります。
もっと極端な例として“山”を考えると、私たちの人生スケールではほぼ固体ですが、何百万年という長い視点で見ると山もゆっくり変形しており、“液体的”にも捉えられるかもしれません。
実際、デボラ数は旧約聖書に登場する預言者デボラの名に由来しており、『長い時間をかければ固体も流動する』という考え方を象徴するものとして紹介されることが多いのです。
「猫は液体か?」というユーモラスな疑問を真剣に検証した物理学者ファルダン氏は、猫の“リラックス時間”(つまり形を変えて落ち着くまでにかかる時間)を緩和時間とみなし、観察時間を設定してデボラ数を計算しています。
たとえば、猫が 5 秒ほどで小さなダンボール箱に入り込み、そのまま1分観察した場合を考えると緩和時間は5秒で、観察時間は60秒となり、デボラ数は0.0833と1よりも遥かに小さな値となりました。
そのため流動学的に猫は“液体的”に振る舞うとみなせる、というわけです。
ややごり押し感のある主張ではありますが、デボラ数にもとづき解釈した場合にはそうなるのです。
他にも興味深いのは、猫にはケチャップやペースト状の物質が持つ「降伏応力」に似た性質があるという指摘です。
降伏応力とは、流れ始めるまでに必要な最小限の力のことで、ペットボトルのケチャップを出すときにギュッと押さないと動かないのと同じ理屈です。
猫の場合も、じっとしているときは“固体”のように見えますが、ある程度くつろいでからだを預けると、箱や容器に合わせて“流れ込む”ようになります。
また、猫の柔らかい被毛が容器の形状を覆うため、視覚的には液体が容器に沿って広がるように見えるという印象も生まれます。
また生物学的には、猫の鎖骨は浮動鎖骨と言われ、人間のように鎖骨が肩甲骨と連結しておらず、肩幅に拘束されにくい構造になっているため、狭い隙間でも頭さえ通れば体もすり抜けられるという進化的背景があります。
他にも、猫の脊椎や四肢の関節は通常の哺乳類よりも可動域が広いため、体を大きくねじったり曲げたりすることが可能です。
加えて猫は捕食時の瞬発力やジャンプ力を必要とするため、筋肉が柔軟で伸び縮みしやすいという特性も持っています。
これらの要素により、猫は哺乳類としてしっかりとした骨格を維持しながらも、流体的な柔軟性を失わずにいることが可能となっています。
(※より流体的な特性という意味ではタコやナメクジのほうが強くなっていますが、猫は骨格がある哺乳類のなかでは流体性が強いと言えます)
また視覚的な要素も「猫が液体」に見える重要な要素となっています。
容器に入っている猫を上や横から見ると、身体の輪郭が容器の形状と重なり合って見えにくくなるため、まるで猫が“とろけて”容器の形に流れ込んでいるかのように感じます。
猫の毛並みがふわっとしていることも、境界をはっきり認識させづらくします。被毛が体の正確なラインを隠してしまうため、ますます“流動感”が増して見えるのです。