不老不死の霊薬を求めて
水銀は古代から知られていた金属であり、少なくとも紀元前3000年頃にはメソポタミアやエジプトで使われていた証拠があります。
人類は水銀を神秘的な物質として見ていました。
水銀はラテン語で「ヒュドラルギュルム(hydrargyrum)」という名前が付いています。
これは「水(hydr)」と「銀(rargyrum)」を組み合わせた言葉で、水銀の驚くべき特性をよく表しています。
というのも水銀は超高温でなければ溶けない他の金属と違い、常温で液体になる唯一の金属だからです。
(ガリウムのように少し温めれば液体になるものも見つかっているが、常温で液体になるのは水銀のみとされる)
となれば、人々が水銀のうちに神秘的な力を見出したとしても不思議ではありません。
そうして始皇帝は水銀に「不老不死の力が宿っている」と信じ込んだのです。
始皇帝を中国全土を統一した初の君主であり、自らを「天命を受けた神聖な存在」と考え、不老不死を手にすることで「永遠に統治する」ことを望んでいました。
しかし実のところを言うと、彼は極端なまでに死に対する恐怖を抱いていたのです。
始皇帝は暗殺や病気を過剰なまでに警戒しており、屋外に出ることを避けるため、宮殿内に歩道を張り巡らせて壁で囲み、外に出なくても移動できるようにしました。
さらに皇帝の居場所を口にしたものは即刻死刑という厳しい厳罰も課していたといいます。
そう、彼の不老不死の探究は単に永遠の権力を求めたものではなく、「死にたくない」という一心から来るものでした。
そして始皇帝は身近な側近だけでなく、国内のあらゆる学者や占星術師、賢者を中国全土に派遣し、「不老不死の霊薬」を探させました。
2002年に発見された木簡(竹や木に書かれた古文書)から、秦始皇の命令は遠く離れた辺境の村々や地方都市にまで届いていたことが判明しています。
しかし10年に及ぶ探索も結局は失敗に終わりました。
ただ絶対的な権力を持つ始皇帝の頼み。使者たちも「見つかりませんでした」では終われません。
そこで始皇帝に仕えていた錬金術師の一人が「不老不死の鍵は銀色に輝く液体にある」と考え、水銀を使った丸薬を調合するのです。
始皇帝も「永遠の命がついに手に入る」と信じて、その薬を飲み続けました。
果たして、どうなったのか?