政治的意味を持っていた可能性も指摘されている盆踊り禁止令

また盆踊りが単なる風紀の問題ではなく、もっと深い政治的意味を持っていた可能性も指摘されています。
たとえば、1889年に「大日本帝国憲法」が発布される直前の時期には、全国的に盆踊りの禁止令が発せられました。
これは、盆踊りが「単なる娯楽」ではなく、「非日常的な社会編成」を生み出すものであり、治安当局にとって警戒すべき事態だったからだといいます。
つまり、夜の広場に人々が集まり、日頃の身分や社会的役割を超えて自由に交流する――これは当時の政府にとって「政治的集会」にも匹敵する危険なものとみなされたのではないでしょうか。
このようにして、盆踊りは禁止され取り締まられたものの、それでも人々は踊り続けました。
明治政府がいくらお触れを出そうとも、人々は夜になればこっそりと踊りの輪を作ったのです。
結局、盆踊りは完全には消えることなく、今日まで続いています。
考えてみれば、盆踊りとは、「踊るな」と言われても踊ってしまう人々の情熱の表れなのかもしれません。
明治時代の役人たちがどんなに厳しい禁止令を出そうと、盆踊りの魂までは奪うことができなかったのです。
そう、踊る阿呆に、見る阿呆――ならば、踊らにゃ損、損、というわけです。