昭和の時代、ヌートリアが日本で野生化した知られざる真実
でも、南米原産の生き物が、なんで日本にいるのでしょうか。
これには第二次世界大戦が関係しています。寒さから身を守りながら戦わなければならない軍人のコートは裏地に毛皮が使われました。当初はカワウソやムササビの毛皮が納入されていましたが、獲り過ぎて数が減り、間に合わなくなりました。加えて、戦後の国策としてヌートリア養殖が奨励されたことも、野生化の一因となったのです。
軍用ウサギの飼育も行われていましたが、ウサギよりずっと耐久力があり、保温性も高いヌートリアに白羽の矢が立ったのです。特に戦闘機のパイロットには必須アイテムでした。

これが昭和のヌートリア第一次養殖ブーム。ここまでは結構有名な話ですよね。
でも、毛皮の品質が高かったこと、飼育が容易だったこと以外に、もうひとつ大きなポイントがありました。
肉が美味しかったことが既に知られていたのです。
戦中は毛皮と同時に枝肉(と呼ぶには小さいですが)も軍に納入されていました。
戦後は、農地での働き手が軍隊に召集されて減っていたこと、戦地から引き揚げてくる人がどっと増えたことなどから、大切にしていた牛馬も屠畜して食べないと飢えてしまうほど未曽有の食糧難になっていました。
ここから先が知られざる真実。
軍用ウサギは既に壊滅状態になっていたこともあり、昭和の第二次ヌートリア養殖ブームが到来しました。「食べるため」に再び養殖が奨励されたのです。

日本では飢饉の時に利用する「救荒植物」がありました。江戸時代、上杉鷹山が「かてもの」として奨励したものもそうです。今でも郷土料理として山菜の利用が盛んな東北地方ですが、元は救荒植物としてリストアップされていたものでした。
それと同じような位置づけでヌートリアは「救荒動物」とされました。
日本には当時、学術研究会議という団体がありました。日本学術会議の前身です。
全国的な飢饉ともいうべき状況に、日本の研究機関の総力を挙げて結成されたのが学術研究会議非常時食糧研究特別委員会でした。政策の決定に大きな影響力のある科学者の会合の場で、ヌートリアが現状打開の切り札の一つとして登場したのです。
「救荒動物」として研究者の、ひいては政府のお墨付きを得るに至り、ヌートリアは再び養殖されることになったのでした。

それと同時に日本はGHQに対して食糧輸入の要請を出していました。GHQに関しては援助とは違う性質のものでした。援助ではなく輸入です。つまりその見返り品が必要になります。
見返り品としてはカメラ、絹糸、陶磁器などがありましたが、その中にヌートリアの毛皮も加えられたのです。ヌートリアは救荒動物としてだけでなく、見返り品の毛皮にもなっていました。ヌートリアは救荒動物として以外に、毛皮としての需要が再び生まれていたのです。

これは昭和50年代に日本が食糧輸入を辞退したことで終了しました。
それと同時に、高度経済成長時代になった日本では、ヌートリアを国民のたんぱく源にという話がうやむやになりました。肉も毛皮も不要になってしまったヌートリアはこの時期、野に放たれたのか、もっと前だったのかはわかりません。
この時代、学校給食の脱脂粉乳は牛乳に変わりました。自国で生産可能になったのです。しかし、脱脂粉乳の時代から、学校給食にヌートリアが使われていたという話は聞きません。
ただ、養殖ブームは戦後にもあったことは確かなのでした。
昭和の時代に肉と毛皮のために導入された割にはあっさり顧みられなくなったヌートリア。令和の今では農家を困らせる害獣扱いです。反面、許可を取り、捕獲して食べる人々の動画が増えつつあり、ワイルドな料理込みのお楽しみとして一部で受けています。
しっぽのせいか「ネズミ」という認識ではあっても「美味しい」という評価が少しずつ高くなり、気づいてみればネット上にレシピが増え、肉の通販も出てきているヌートリアは、今やちょっぴりレアなジビエ。
ちょっと試してみたいならポチるだけでOK。野外で楽しみたいなら許可を取って狩猟期間中に狩ることができます。
ルール違反は罪に問われて逮捕されるのでそこは要注意ですが、昭和の切実な理由とは違ってちょっぴりサブカルなゲームミートになりつつあるという、数奇な運命を辿っているヌートリアなのでした
