なぜラッコは減少してしまったのか?
日本の水族館で飼育されている最後のラッコ、鳥羽水族館のメイとキラ。
ラッコの飼育下での寿命は20年ほどといわれています。
メイとキラの2頭は飼育下での平均寿命に近づいてきており、この2頭がいなくなると日本の水族館からラッコが消えることになります。
一世を風靡した日本の水族館のラッコはなぜここまで減ってしまったのでしょうか。
最大の理由は、飼育下で子孫が残せなかったことにあります。ラッコの繁殖は予想以上に難しかったのです。
繁殖の難しい動物のひとつにジャイアントパンダがいます。上野公園での繁殖はなかなか大変でした。それが和歌山県白浜町にあるアドベンチャーワールドでは順調に進んだということがあります。
飼育下にいる動物はペアになれる相手が限られています。野生化ではお互いに相手を選べるのでしょうが、飼育下ではそういうわけにはいきません。相性とタイミングが合えば繁殖にこぎ着けることができるということなんですね。
日本の水族館では残念ながらラッコの子孫を残すことがかないませんでした。

もうひとつの大きな要因は、ラッコがワシントン条約で保護されている動物だということです。
ラッコの生息域は北太平洋で、これまではアメリカからラッコを輸入していました。しかし、1998年にアメリカ政府が野生のラッコの輸出を禁止したのです。
このため、どこの水族館でも新規にラッコを飼育することはできなくなりました。
ラッコはカナダにも少数いるのですが、カナダではラッコを厳重に保護しており、最初からラッコの輸出は禁止。ほか、カムチャツカ半島にも生息していますが、ラッコはロシアでも保護されており、輸出の実績はほぼありません。
繁殖がだめなら輸入に頼ることもできなくなってしまったというわけです。
そもそも、ラッコはどうしてこんなに数が減ってしまったのでしょう。
ラッコはイタチの仲間で最大の動物です。元は北太平洋沿岸に広く生息していました。そして冷たい北の海で生きるため、とても密度の高い毛が生えています。もう、もっふもふ。

冷たい海に住む他の哺乳類と比べて体が小さく相対的に脂肪の層も薄いため、毛皮を最高にもふもふさせ、さらにその毛の中に空気をよく含ませることで暖かく保っているのです。
でも、こうした上質な毛皮と警戒心の薄さから18世紀後半から乱獲され、19世紀には壊滅的に数が減ってしまいました。20世紀初頭には絶滅寸前。
1891年と1893年、アメリカ、イギリス、ロシアが北太平洋のラッコ、オットセイの捕獲条約を締結しました。そのため、千島列島を南下して自由にラッコ猟のできる北海道、金華山沖、塩屋崎沖の領海まで進出してラッコ猟を始めたのです。
日本政府は1895年にラッコ、オットセイ猟法を公布。これは保護ではありません。外国船団にラッコを獲られてしまう前に、自国で獲ってしまえということです。
1897年に遠洋漁業奨励法を公布して外国船団に対抗し、日本の海獣猟業は急速に発達しました。ラッコやオットセイを獲りまくったわけです。

1897年頃、外国船団は日本沿岸に姿を見せなくなりました。
要するに毛皮のために乱獲され、絶滅の危機に瀕したのです。乱獲されて絶滅した生物は、「簡単に獲れる」「美味しいか毛皮目当て」のことが多いですね。後先考えない人間の欲のせいで消えていくのです。
その後、1911年にアメリカ、ロシア、日本、イギリスの4か国が「北太平洋アザラシ条約」を締結し、ラッコを含めた海獣類の保護を開始しました。
それでも数の回復には時間がかかり、依然として低迷する個体数。そのため、ワシントン条約で保護されるようになりました。
そんな中、1989年に起きたタンカーの座礁事故は悲劇でした。ラッコに原油が付着した結果、体毛が海水で濡れてしまい体温を奪われて凍死、もしくは体毛の間にたっぷりと空気を含ませることができなくなり、浮力が減少して溺死して、1000頭あまりのラッコが死んでしまったのです。
ここまでが、日本の水族館からラッコがいなくなる理由と、そもそもラッコがどうして保護されるに至ったかのあらましです。
