クモの糸はなぜ注目されるのか?
現在、人類が利用している最も強度の高い繊維素材のひとつに「アラミド繊維(aramid fiber)」があります。
これは、防弾チョッキや航空宇宙分野で活用される高性能な合成繊維であり、驚異的な耐久性と引張強度を誇ります。
例えば、アラミド繊維の代表格である「ケブラー(Kevlar)」は、鋼鉄の5倍の強度を持ちながらも非常に軽量です。

しかし、アラミド繊維にはいくつかの欠点があります。
高い剛性を持つ一方で、柔軟性には限界があります。
例えば、防弾チョッキや航空機の構造材など、衝撃耐性や剛性が求められる分野には適していますが、極端に曲げたりねじったりする用途には向いていません。
そのため、衣類や医療用の縫合糸のような、しなやかさが求められる用途では十分に機能しません。

また、アラミド繊維の製造には高温・高圧の化学プロセスが必要であり、その過程で有害な廃棄物や温室効果ガスが発生します。
さらに、分解されにくいため廃棄後のリサイクルが困難で、環境への負荷が大きいという問題もあります。
そのため、より持続可能な代替素材の開発が求められているのです。
そこで注目されるのが、クモの糸です。
クモの糸は、アラミド繊維に匹敵する強度を持ちながら、驚異的な伸縮性を兼ね備えています。
さらに、タンパク質由来の素材であるため、生分解性が高く、環境に優しいという特長もあります。
しかし、クモの糸の人工的な再現は極めて困難でした。その理由は、その分子構造にあります。
タンパク質「スピドロイン(spidroin)」でできたクモの糸は、分子レベルで見ると、非常に精密なβシート構造(beta-sheet structure)を形成しています。
これは、タンパク質の分子が層のように並び、強固な結びつきを作ることで、並外れた強度を生み出す仕組みです。
この構造のおかげで、クモの糸は衝撃に強く、しなやかさも兼ね備えています。
クモはこの性質を活かし、獲物を捕まえる網を作るだけでなく、自身の移動や安全確保にも利用しています。
クモの糸を人工的に作るだけでは、天然のものと同じ強度やしなやかさを再現できません。
なぜなら、クモは糸を紡ぎながら、一部を強く引っ張ることで分子を整列させ、別の部分では緩めて柔軟性を保つという、極めて精密な調整を行っているからです。
まるで職人が織物を織るように、クモは環境に応じて糸の特性を変えているのです。
そこで今回の研究では、クモの糸を引き伸ばすことで強度を向上させるという新たな方法に注目しました。