民主主義を守るために必要なこと

こうした結果から見えてくるのは、選挙で選ばれたリーダーが少しずつ権力を集中させていくような場合でも、「それは民主主義に反する」とすぐに察知して行動できる人たちがいる一方で、「多数決で選ばれたなら、ある程度強権的でも問題ない」と感じる人も確かに存在しているという現実です。
多くの人が「民主主義は大切」と答えていても、具体的に“どのレベルまでのリーダーの強硬策を容認するか”となると、びっくりするほど多様な意見が出てくるわけです。
こうした意識のズレが蓄積されると、社会全体ではリベラルなチェック機能――たとえば司法やメディアの独立――の弱体化が徐々に進んでも、大半の有権者が「これも民主主義の一形態だろう」と受け止めてしまう恐れがあります。
言い換えれば、「民主主義はいいものだ」と思っていても、自分のなかで“許せるライン”が低いと、結果的に強権的なリーダーが長期政権を築く土壌を作ってしまうのです。
これは、歴史をふり返るとヒトラー政権などの例にも重なって見える部分でしょう。
一方で、今回の研究は“決して絶望的な結末ばかりではない”とも示唆します。
リベラルな民主主義観を持つ人は、自らが支持する政党の候補者であっても権威主義的な行動にはノーを突きつける傾向がありました。
つまり、多数決で当選した権力者が少しずつ民主主義を侵害しようとするとき、それを阻止できるかどうかは「どれだけ多くの有権者がリベラルな価値を共有できているか」にかかっているともいえます
。逆にいえば、教育や公共的な議論を通じて、少数派保護や三権分立の大切さを認識する人が増えれば、選挙による民主主義の“自己崩壊”を防ぐ力が強まる可能性も十分あるわけです。
今後の課題としては、こうした「民主主義の中身」の違いがどのように形成され、変化していくのかをより深く調べる必要があります。
若い世代の教育環境やメディアの情報発信、さらに国や地域によって違う歴史的・文化的背景なども大きく影響すると考えられるからです。
また、今回の研究で浮き彫りになったように、党派対立だけでは説明できない要因が投票行動や政治の動向に影響するのだとすれば、単に「二極化を解消すれば民主主義が安定する」という単純な話でもないでしょう。
とはいえ、この研究が明らかにした「民主主義観のばらつき」が、いかに社会の将来を左右し得るかを理解することは、今の世界情勢において非常に重要です。
国民ひとりひとりのなかにある“民主主義を守るための基準”がばらばらならば、権威的なリーダーが少しずつ制度を変えていくことを止めにくくなってしまいます。
一方で、“守るべき一線”についての理解を共有できれば、仮に強引なリーダーが登場しても有権者は「さすがにこれは行きすぎだ」と声を上げ、投票行動でも明確にNOを示す可能性が高まります。
要するに、同じ言葉で「民主主義」と言っていても、その中身が違えば選挙結果や政治の行方にも大きな影響が生じてしまうということです。
この点を意識するだけでも、民主主義が“いつの間にか”崩れかけている場面で早めに気づけるかもしれません。
今回の研究は、民主主義をどう守るかを考えるうえで、「民主主義って何だろう?」とあらためて問い直す大切さを教えてくれるといえるでしょう。
これって、リベラルの人たちがよく言う真の民主主義ってやつでしょうか。彼らのやり方は、正論っぽいことを言って、自分らの主張が法的、倫理的に正しいから正しいのだと強弁することです。このやり方の強みは、この方法がマスコミや弁護士らのやり方とベクトルが合っており、彼らを抱き込むことができるという点です。しかしながら、彼らは往々にして現実問題を見据えていないため、現実に様々な問題が顕在化していきました。政治のどれが正しいのかを言うことは難しいですが、ひとつだけ言えるのは、国民をないがしろにする政治は間違っているということです。法的、倫理的な正しさばかりを強調してそれを正しい民主主義だと言うなら、私は、そんな民主主義は間違っていると胸をはって主張します。
いろいろな主義や考え方が許されている社会の方が民主主義的だと思いますが、この記事はそれとは逆に見えます。
そもそもリーダーを選ぶことが民主的でない。資本主義は搾取を認めているから民主的でない。
「『判事は政府が任命すべき』(中略)など“ややグレーな強権的”なパターン」
内閣が最高裁裁判官を任命することを規定する日本国憲法は、ややグレーで強権的だった?🤔
護憲派の皆さまは研究チームのこの見解に納得できるのだろうか?
民主主義はリベラルな人しか存在しない世界でなければ失敗する政体という話ですかね。
とどのつまり人間は共和政ローマから相も変わらず、デマゴーグによって民主政を崩壊させるのですね。
国際情勢がきな臭い今こそ『非政治的人間の政治責任』を問うべき時に来ているのかもしれません。
「不可能なるがゆえにそれを信ず、は政治的思考の一つのカテゴリーとなる」(「危機の二十世紀」by E.H.カー)
民主主義うんぬん以前に多数決を選択じゃなくて勝利や正しさを決めると思ってる段階で破綻してると思うんだが
あくまでただの選択だから結果への責任は多数派が負うのが道理だけど、実際は勝者と敗者って構図で利益は勝者が不利益は敗者が負うって形に持ち込もうとして権威や武力を必要になるんだし