細胞は量子コンピュータよりも早く計算できる可能性がある
細胞は量子コンピュータよりも早く計算できる可能性がある / Credit:Canva
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細胞は量子コンピュータよりも早く計算できる可能性がある

2025.03.31 17:00:33 Monday

アメリカのハワード大学(HU)で行われた研究によって、「私たちの体を形づくる小さな“細胞”が、いま世界中で開発競争が激化している量子コンピュータよりも速く“計算”できるかもしれない」と提案されています。

一見するとSFのように聞こえますが、最新の実験結果によれば、私たちの身体を支えるタンパク質構造が量子力学の原理を巧みに利用し、ピコ秒(1兆分の1秒)という驚異的なスピードで情報を処理している可能性が示唆されています。

もしこの現象が本当に存在するならば、私たちの細胞は「生体量子コンピュータ」と呼べるほど高度な演算能力を秘めていることになります。

では、いったい細胞はどのようにして、現行の量子コンピュータすら凌駕するような高速演算を実現しているのでしょうか?

研究内容の詳細は『Science Advances』にて発表されました。

Computational capacity of life in relation to the universe https://doi.org/10.1126/sciadv.adt4623

計算する宇宙、そして生命

計算する宇宙、そして生命
計算する宇宙、そして生命 / 細胞骨格は、まるで建物の骨組みのようなもので、細胞の形を保ち、内部の器官を支える役割を果たしています。 細胞内にある微小管やアクチンフィラメント、インターメディエイトフィラメントなどの細かいタンパク質繊維が組み合わさり、細胞全体に強固なネットワークを形成しています。 これらの繊維は、細胞が力を加えたり、動いたり、分裂する際に重要な役割を担っており、まるで細胞が自分自身の構造を自在に変えるための内部の“足”や“支え”のような働きをしています。 また、細胞骨格は、情報の伝達や細胞内輸送にも関与しており、必要な分子や物質を細胞内の各所に効率よく運ぶ役割も果たしているのです。今回の研究ではこの細胞骨格のようなタンパク質繊維が超放射を行っている可能性が調べられました。/Credit:Canva

近年、「あらゆる物理システムは、その振る舞いのすべてが何らかの情報処理(計算)である」という新しい視点が注目を集めています。

たとえば、宇宙に存在する無数の粒子やフィールドは、相互作用するたびに論理演算のような“状態の更新”を重ねており、その積み重ねがこの宇宙における歴史を紡いできたという考え方です。

中でも興味深いのは、観測可能な宇宙がこれまでに実行してきた計算の総数が10の120乗にも達するのではないか、という大きな推定値が提示されている点です。

これは通常の桁感覚では想像すら難しいほど膨大な数字ですが、宇宙の年齢やエネルギースケール、そして光速やプランク定数などの基本定数を組み合わせて考えると、そのような途方もない数になる可能性が理論的に示唆されているのです。

さらに驚くことに、地球上で長い歴史を経て進化してきた真核生物——つまり私たち人間を含むすべての動植物、菌類といった生きもの——が、ある仮定のもとで計算すると、その宇宙全体の推定値のおよそ平方根に匹敵する情報処理を担っているのではないか、という上限的な仮説もあります。

仮に宇宙全体の演算回数が10の120乗規模だとすると、その平方根は10の60乗ほどです。

私たちには依然として大きすぎる数ですが、それでも宇宙全体に比べればかなり小さいように思えます。

しかし、生物が環境情報を取得し、分子レベルでエネルギーを変換し、遺伝子情報を複製し、さらに細胞同士で複雑なコミュニケーションを行ってきた総体が、それほど膨大な規模の“情報処理”になっているかもしれないという指摘は、多くの科学者たちの好奇心を強くかき立てているのです。

そうした背景の中で注目を浴びているのが、細胞の構造を支えるタンパク質繊維と光の相互作用における“量子的”なふるまいです。

具体的には、紫外線領域の光(高エネルギーの光子)を使ってタンパク質を励起したときに、多数の分子があたかもひとつの巨大な振動子であるかのように連動して光を発する「超放射(スーパーラディアンス)」という特殊な現象が確認されています。

研究者たちによれば、超放射は多数の分子が協調して光を一斉に放出する現象であり、その放出速度を詳しく調べたところ、量子系の状態変化の最短時間を理論的に示す「マルゴリス=レヴィティン速度限界(Margolus-Levitin theorem)」と比べても、わずか100倍以内の誤差に収まるほどの超高速領域に達する可能性があるとされています。

マルゴリス=レヴィティン速度限界とは?

マルゴリス=レヴィティン速度限界とは量子システムがある状態から全く異なる状態へと変化するのに必要な、理論上の最短時間を示すものです。

この限界は、システムに投入されるエネルギーの大きさによって決まり、いくらエネルギーを増やしても、これ以上速く状態を変えることはできません。

もし細胞内部で、この限界に近い速度で分子やタンパク質が状態を変えて情報処理を行っているならば、それは従来考えられていた「神経のスパイクによる計算」などの方法をはるかに凌駕する、驚異的な高速演算能力を持っていることを意味します。

つまり、細胞が自らの構成要素であるタンパク質の量子効果を最大限に活用し、理論上の限界に迫る速さで計算を行うことができれば、生命体の情報処理能力はこれまでの常識を根底から覆す可能性があるという、非常に革新的な発見となるのです。

もしこの観測結果が正確であれば、いま世界中で研究・開発競争が激化している量子コンピュータの性能ですら到達が難しいような“演算速度”を、自然に存在する細胞がすでに実現しているかもしれない——まさにそう考えざるを得ないほど、衝撃的な発見だといえるでしょう。

もちろん、生命体という高温多湿な環境で、これほど繊細とされる量子コヒーレンス(重ね合わせ状態)が失われずに維持されるのかという疑問は、長年にわたって論争の的でした。

量子現象は一般に、絶対零度に近い極低温や真空の状態でないと“デコヒーレンス(量子状態の破綻)”を起こしやすいと考えられてきたからです。

しかし最近の実験では、室温や水溶液中といった日常的な環境下でも、特定のタンパク質繊維は量子的に協調した状態を保てるらしいことがわかってきました。

これは私たちの身体内部で起こる分子レベルの相互作用が、想像以上に効率的かつ高速な情報処理である可能性を示しています。

言い換えれば、細胞はたんに化学反応を起こしているだけでなく、量子力学の原理を活用した“計算機”として機能しうるということを暗示しているのです。

では、実際に細胞のタンパク質構造はどのようなメカニズムでこれほど高速な計算を実現しているのでしょうか。

また、その“計算結果”はどのように細胞の活動や生命現象へと結びついているのでしょうか。

そうした謎を明らかにするため、今回研究者たちは「もし量子現象があるとしたら、それはどれほど強力な情報処理パワーを持ち得るのか」という根本的な問いにも迫る挑戦をはじめました。

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