海女さんの秘密をDNA解析!

本研究では、済州島で漁を行う海女さん30名と、同じ済州島出身だが潜水をしない女性30名、さらに本土(ソウル)出身の女性31名を被験者として比較しました。
被験者はいずれも平均65歳前後で年齢を揃えています。
まず彼女たちの安静時と潜水時の生理指標を測定するため、「疑似潜水実験」を行いました。
具体的には、水を張った容器に顔を浸けて息を止めてもらい(いわゆる潜水反射の誘発実験)、心拍数と血圧の変化を記録しました。
この方法は安全に人間の潜水時の生理反応を再現する標準手法です。
実験の結果、全員で心拍数の低下(徐脈)という潜水反射が確認されましたが、その低下幅は海女さんが突出して大きいことが判明しました。
一般の訓練を受けていない人(済州島の非海女さん)の心拍数は、疑似潜水の間に平均約12.6拍/分低下しましたが、海女さんでは平均18.8拍/分も低下しました。
中には、わずか15秒間の潜水で心拍が40拍/分以上も急減した海女さんもいました。
一方、拡張期血圧に関しては、ソウル出身の参加者に比べて済州島出身者(海女さん・非海女さんとも)が平均してやや高めの傾向を示していました。
しかし遺伝子解析では、拡張期血圧の上昇をある程度抑えるとみられる特定の遺伝子変異を済州島側が高頻度で保有していることも分かりました。
特に注目されたのは二つの遺伝的変異です。
一つは低血圧に関連するとされる変異で、染色体8上に位置するDNA配列(Cアレル)の頻度が、本土では7%しかないのに済州島では33%に達していました。
この変異を持つ人は拡張期血圧が一対立遺伝あたり約10mmHg低くなる可能性があるとされています。
(※最大2個コピー持てるため、全く持っていない島民に比べて最大20mmHほど下の血圧が低下すると考えられます)
研究チームは「妊娠中に潜水する女性にとって高血圧症は大きなリスクとなるため、この遺伝子変異が自然選択で有利に働いたのではないか」と指摘しています。
実際、息こらえによる血圧上昇は妊娠中のリスク要因にもなり得るため、海女さんたちが代々安全に出産できた背景にはこうした遺伝的特性が関与したのかもしれません。
研究者の一人は「こうした特性は誰もが持っているわけではありません。彼女たちの身体は、いわば特殊な“パワー”を持っているのです」とコメントしています。
もう一つの注目変異は寒冷耐性に関連するもので、寒さによる痛みの感受性に関与するとされ、冷たい水に長時間潜るうえで有利に働いた可能性があります。
この遺伝子は以前から「冷水耐性」に関わると報告されており、海女さんでは選択の痕跡が見られました。
興味深いことに、済州島の海女さんたちは冬の厳寒期でも漁を続け、「風速警報が出ない限り潜る」と話すほどの強靭さを誇ります。
ただし本研究では個々の耐寒テストは実施しておらず、どの程度寒冷順応に寄与しているかは今後の研究課題です。
以上の解析の結果、済州島全体と本土集団の間には明確な遺伝的差異が認められ、潜水時の血圧調整や寒冷耐性にかかわる有利な変異が島内全体に蓄積している可能性が示唆されました。
これは、海女という職業が社会的にも重要だった環境下で、有利な変異を持つ女性が積極的に海に潜り、結果的にそうした遺伝的特徴が島の多くの住民にも広がったと考えられるからです。
(※有利な遺伝子を持っていてもその人物が海女さんになるかどうかはわかりません。しかし有利な変異を持つ海女さんが妊娠中も安全に仕事ができて子孫を多く残しやすくなるならば、結果的に島全体に有利な遺伝子が拡散していったと考えられます。島内部で遺伝子差異が小さくても、本土との間に大きな差があるのはそのためです)
研究チームはこのような遺伝的適応が比較的最近の数千年以内に起きた可能性を指摘しており、モデル解析では約1200年前から近年にかけて血圧関連の遺伝子に強い選択圧がかかったと推定されました。
ちょうどその時期は、済州島に海女文化が根付き始めたとされる歴史と重なる点も興味深いといえます。
つまり1200年という生物史的に極めて短い期間であっても、人類は水中に適応した状態に進化可能なわけです。