性的興奮の“源泉”は文化か、それとも本能か?
調査の結果、2つの世代間にはほとんど差が見られませんでした。
若い頃に女性の胸を日常的に見ていた中高年男性も、胸を隠す文化で育った若年男性も、いずれも同程度で「女性の胸を見て性的に興奮する」と答えたのです。

また、性行為中に胸に触れる頻度や、パートナーの魅力度を判断する際に胸をどれほど重要視するかについても、世代間の差は見られませんでした。
これらの結果は、「胸が普段隠されているからこそ興奮の対象になる」という従来の文化的説明を否定するものです。
代わりに、胸への性的反応は、文化によって作られたものではなく、人間にあらかじめ備わった進化的な本能に根ざしている可能性があると考えられます。
通常、心理学では何度も刺激にさらされると慣れてしまい、反応が鈍くなる「脱感作(desensitization)」という効果が知られています。
その観点からすると、胸を日常的に見慣れていた中高年世代の男性は、若者よりも興奮を覚えにくくなっていても不思議ではありません。
ところが、今回の調査ではそうした文化的慣れ(脱感作)の影響は特に見られなかったのです。
つまり、胸がどれほど日常的に目に入っていようとも、男性はそれを「性的に魅力的で、興奮を覚える対象」として認識し続けていることになります。
これは、「女性の胸」という身体部位が、人間の進化の過程で若さ・健康・繁殖能力の重要なシグナルとして選択圧を受け、男性の脳に深く組み込まれた“反応装置”のような役割を果たしていることを示唆しています。
さらに重要なのは、この研究が測定しているのが単なる「好み」や「関心」ではなく、明確な性的興奮(arousal)という身体・心理的反応であるという点です。
それゆえ、文化によって「胸が見慣れていたかどうか」という視覚的経験の違いがあったとしても、そのような深層の反応までは変化させられないのかもしれません。
このことから、人間の「性的興奮のスイッチ」が、見慣れることでは簡単には“オフ”にならない、堅牢なメカニズムである可能性が見えてきます。
そしてそれは、文化と本能が複雑に交差しながら、人間の性行動を形作っていることを物語っています
今回の研究は、私たちが「当たり前」と思っていた性的魅力の感じ方について、考え直すきっかけを与えてくれます。
文化だけでは説明できない、人間の深層にある本能的な美的判断が、どのように形成されてきたのか。
この問いを探ることは、単に恋愛や性的魅力を理解するだけでなく、人間という存在の根源に迫る手がかりになるかもしれません。
今後のさらなる研究によって、「美しさ」や「魅力」の正体が、もっと明らかになることが期待されます。
隠してみたところで男性の性的な視線からは逃げられないという一部の女性にとっては地獄のような結果に…。
女性が、男性の股間のもっこり具合をやたら
チラチラ見てしまう、というのと同じような
心理なのか?!?
男性の場合は乳房が気になるのかぁ~~φ(..)メモメモ
今までギャンブルや女性のうなじ・胸・股間部などに人々が興奮を覚えることは、共通して「滅多にないこと」であるから興奮するのだと考えており、まさに性的なことが通常であればそうでなくなると考えていました。
しかしそうではなく、本当に女性の胸は性的であり、希少性に関わらず興奮するものだったんですね。私の性の希少性(結局誰かをパクったものだったが…)が破壊されてしまいました。
普段から胸を見慣れているというのは分かりましたが、特にその男性たちはそもそも女性胸を触ったり、いじることができたんですかね?
見ることはともかく、自分が実際に触ったりいつでも触れるような条件下にあるかなしかで、性に対する希少性および興奮度も少しだけ変わる気がします(悪あがき)。
いいよね、おっぱい
おっぱいが好きなのは哺乳類だから仕方ない・・・?
胸に関しては本能ということか。
プロテスタントが台頭したときに女性の肌露出を規制したことにより、脚が性的なものと見做されるようになったのは本能ではなく隠されたことによる文化的なものという話が面白かった。
今でも特に欧米で脚を性的にみるのは文化的に形成されたものの名残りなんだろうな。