鏡の中心で量子ノイズが蒸発した──“測れない”から“揺れない”へ

調査にあたってはまず、半球状の球面鏡の内部中心にナノ粒子を置き、外部から鏡の中心へ向けてレーザー光を照射する過程を想定しました。
レーザー光は鏡面で反射して往復することで定在波を形成し、その強度が鏡の中心でちょうど最大となるように調整されています。
この強い光の「お椀」の中に粒子を閉じ込めることで、粒子はあたかも鏡の中心に宙に浮いたように安定化します(光学トラップされます)。
重要なのは、鏡が半球状すなわち空間全体の半分を覆うほど十分に粒子を囲んでいることです。
著者らの理論解析によれば、このような条件が満たされるとき粒子に働く量子バックアクションの強さ(粒子へのランダムな光の反作用力)が大幅に低減し、理論上ほぼゼロにまで抑えられることが分かりました。
なぜ鏡で囲むことで量子ノイズが消えてしまうのでしょうか。
鍵は「粒子と鏡に映った粒子像の区別がつかなくなる(粒子自身から光が運んでくる情報と、鏡に反射されてやってきた情報の区別ができなくなる)」点にあります。
半球鏡の中心に粒子を置くと、その粒子から出た光(散乱光)が鏡で反射し、再び粒子のもとに集まってきます。
鏡が条件通りに設計されていれば、反射光は粒子からの散乱光と同位相で重なり合い、両者が完全に一致します。
その結果、観測者(例えば鏡の外側で散乱光を検出するセンサー)にとって、粒子が放った光と鏡からの反射光を区別することができなくなります。
言い換えれば、粒子の “ありか” を示す光のゆらぎが丸ごと覆い隠されるため、位置情報を読み取れず、粒子が「見えない」状態になります。
そしてそのような状況になれば、情報を奪い合うことから生じる量子バックアクションも起きなくなるというわけです。
研究チームのラファウ・ガイエフスキ氏は、鏡の中心に粒子を置くことで「測定が不可能になれば、ゆらぎも消える」と表現しています。
観測装置が位置情報を引き出せないならば、測定によるランダムな“キック”も発生せず、量子の揺らぎは極限まで小さく抑えられます。
これは粒子の動きを光で見る方法が失われれば、粒子を乱す要因そのものが消えてしまうという逆説です。
線形な位置測定が不可能になると、測定に起因する粒子への反作用(撹乱)も同時に極限まで小さくなると考えられます。
これこそが鏡によって量子バックアクションが「音もなく」消える仕組みです。
仕組みをより具体的に解説
実像と鏡像が溶け合って位置の手がかりが得られなくなるとき、その領域ではそもそも観測に必要な情報が光から抜け落ちてしまいます。測定できない以上、測定によって粒子を“蹴る”ような作用も発生しません。言い換えれば、粒子を乱す原因が「測定という行為」だとすれば、測定不能な状態ではその乱れ自体が生じなくなるのです。「どこにあるかを知ろうとする過程があるからこそ、粒子が揺さぶられる」という量子力学の基本原理が、極端なかたちで現れているといえます。つまり観測の仕組みと撹乱は表裏一体であり、ひとたび観測そのものが成立しなければ、撹乱もともに消えてしまう――これが“本物と反射の区別がつかない”測定不能ゾーンの正体なのです。(※因果律は保たれていますが量子力学の新たな不思議が強調される結果になったわけです)
この現象について、論文の第一著者であるラファウ・ガイエフスキ氏(スウォンジー大学物理学科博士課程)「我々の研究から、測定が不可能な状況を作り出せれば撹乱も消えることが示されました。理論モデルでは、半球状の鏡の中心に粒子を置いて光学的に閉じ込めたとき、ある特定の条件下で粒子が鏡像と完全に同一となり、散乱光から位置情報を取り出せなくなります。このとき量子バックアクション(測定による微小なキック)は同時に消滅するのです」と述べています。
つまり「測れなければ、押されることもない」というわけです。
著者らの解析によれば、完全なバックアクション抑制が成立するにはいくつかの重要な条件があります。
第一に、上述のように鏡は粒子を半球状に覆う十分な大きさ(空間全体の二分の一の立体角をカバー)を持ち、かつ理想的な高い反射率を有する必要があります。
鏡の反射率が不十分だと、一部の光が鏡を透過・吸収して逃げてしまい、効果が減少するためです。
第二に、粒子が配置される位置はレーザー定在波の強度が極大となる“波の腹”に合わせる必要があります。
著者らは鏡のサイズやレーザーの焦点位置を適切に選べばこの条件を満たせることも示しています。
興味深いことに、これらの条件が整った系では散乱光の強度が最大になるにも関わらず、肝心の位置情報だけが完全に欠落します。
一見すると「光をたくさん当てて測定しているのに、何も分からない」という逆説的な状況ですが、量子論はこの情報と撹乱のトレードオフを厳格に律しています。
実際、本手法で実現する状態は、測定の精度と撹乱の関係が不確定性原理の限界値(ヘイゼンバーグ極限)にちょうど一致することも確認されました。
レーザー光の強度(測定の「明るさ」)を下げたりすることなく、環境側の工夫だけでこの量子限界に到達できた点は特筆に値するといえます。