SNS依存で増幅されるナルシシズムのタイプがあった
では、なぜナルシシズム傾向が強い人はSNSに依存しやすいのでしょうか?
そこには内面の不安定さが関係しています。
多くのナルシストは、外見上は自信に満ちているように見えますが、実際には他者からの評価に強く依存しており、内なる自尊心は非常に脆弱です。
SNSのフィードバックは、そうした脆さを一時的に補ってくれる“擬似的な安全装置”として機能します。
しかし、それは根本的な問題を解決するものではなく、あくまで「その場しのぎの鎮痛剤」のようなものです。
「もっと見てほしい」「もっと認められたい」と求めるうちに、SNSへの接続はどんどん強化されていきます。
これがナルシシズムとSNS依存症の実態です。

さらに興味深いのは、SNS依存とナルシシズムが双方向に影響し合っているという点でした。
研究では「称賛」「対抗」「英雄性」タイプのナルシシズムが、SNS依存によって弱まる傾向が見られました。
つまり、「いいね」に翻弄されて疲れ果てた結果、自分を高く見せようとする力が一時的に衰えていたようなのです。
一方で「敵意」や「孤立」タイプのナルシシズムは、SNS依存と並行して増大する傾向がありました。
これは自分が認められないことへの苛立ちや孤立感がSNSで増幅され、他人との距離や敵意が強まっていくことを示唆しています。
このような結果から、SNSは単なる情報ツールではなく、自己像や人間関係を大きく左右する心理的空間であることが明らかになりました。
ナルシシズム傾向の強い人は、自分のタイプの理解しながら、SNSとの付き合い方に注意すべきかもしれません。
人類総ナルシスト説爆誕。
マスワルトゥーの、中の、肥大には、肥えた能力の、発揮軌轍、つまり、派脳システム解除が、まだ出来ておらず、進行性の早い、毒牙虫は、アレルギーショックを、呼び、そして、ナルシスト、世界に、溢れる。以上。
イタリア人精神科医パントーフランチェスコが日本人は自意識過剰だと言ってて、その理由を俺の頭の中でうまく言語化出来なかったけど、この記事の「内面の不安定さ←他者からの評価に依存」←高モニタリング社会←水稲圏集団主義・やや血縁主義・寂しさを増幅させる権威主義社会である事と全てが上手く繋がりました。これは天才のパントーも理解しきれていなかった事です。出来てたら著書で語ってる筈だから。隙あらば中二病とか悲劇のヒロイズムを撒き散らすのも大方そのせい。
社会学人類学と心理学の間の最後の一枚の壁がどうしても敗れなくてそのキーワードを探してたけど、その最後の鍵を手に入れられました。ナゾロジーの1ページ目のバナーリンク稼ぎとかクソコメとかに毎日イライラさせられてたけどこの記事その一フレーズだけで漸くその元が取れた思いです。よく考えたらそうだよな、主体性と承認が乏しくて、個人より社会が圧倒的に強い世界では人々は落ち着きようがない。もうちょっと考えれば分かった筈なのに俺にはその気付きが無かった。有ったとしても他の誰かに言われないと確信が持てなかった。
すごくすっきりした。とにかく日本社会はクソ。幸福度調査で毎年低位に低迷してるのも技術力と社会と国家ばかりを優先して個人の権利と幸福感とメンタルを犠牲にしてるからだし、それを国民が理解出来ないのも心底洗脳され過ぎているから。他人との繋がりと主体性の価値を日本世間は理解できず、治安秩序と金銭的豊かさにしか指標を設けられなくなっている。しかもそれを欧米のせいにしている。空気読めない奴をスケープゴートとしてフルボッコにする一方で自分たちも空気に流され続けてないといけない息苦しさをどこかの物陰でこっそり発散するような表裏の使い分けしか選択肢を持とうとしない。他国生活でもしてみれば他にいくらでも方法がある事が理解できるだろうに排外的で傲慢だからその発想も持たない。出る杭を叩きたがるのは、自己主張が悪と見做されてるから代わりに誰かを蹴落として転落せる事で自身が相対的に高い地位に留まろうとするせい。
モヤモヤしてた霧が晴れた感じ。今日はとにかく酒が旨い。