なぜ暗黒物質は他の物質より先に宇宙に存在したのか?

なぜ暗黒物質だけフライングして宇宙に誕生することになったのでしょうか?
テンカネン博士らの研究が導き出した新理論によれば、その理由は、宇宙誕生前の特殊な状況にありました。
従来の理論では、宇宙のすべての物質はビッグバンの瞬間、つまり宇宙が高温高密度の「火の玉」状態になったときに誕生したと考えられていました。
しかし今回の研究では、暗黒物質はその「火の玉状態」が始まるよりも前、インフレーション期にすでに作られていた可能性が示されたのです。
インフレーション期の宇宙は、いわば「粒子が存在しない純粋なエネルギーの場」でした。
そのエネルギーの源となったのが、「スカラー場」と呼ばれる特別なエネルギー場です。
このスカラー場というのは、空間全体に均一に広がっているエネルギーの海のようなもので、量子的な効果で小さく揺れ動きます。
インフレーションが進むと、スカラー場は宇宙全体でほぼ一定の状態(安定した状態)に落ち着きます。
このとき、スカラー場は絶えず細かな「量子ゆらぎ」を起こしていました。
量子ゆらぎとは、一見均一に見えるエネルギーの海の中にほんの小さな凹凸がランダムに生じる現象です。
今回の研究では、このヒッグス粒子とは異なる未知のスカラー粒子が暗黒物質を構成している可能性を考察しています。
ビッグバンで生まれた物質(例えば電子や陽子)は電磁気力など様々な力で相互作用しますが、ビッグバン前に生まれた暗黒物質はそれらとは無縁で、インフレーションで存在していた重力だけと相互作用する――すなわち重力以外には姿を現さないというわけです。
やがてインフレーションが終わると、宇宙が急激に膨張することで、この小さなゆらぎは拡大され、特定の場所にエネルギーが偏った領域を作り出します。
こうして生じたスカラー場のエネルギーの偏りが、後に暗黒物質としての役割を果たすようになったのです。
さらに興味深いのは、このスカラー場由来の暗黒物質の誕生は、特別な条件や設定を必要としない自然なプロセスだという点です。
研究者たちが数式を使って計算した結果、スカラー場のエネルギーゆらぎはインフレーション期に「安定した平衡状態」を作り出し、その後の宇宙にとってちょうど良い量の暗黒物質が自動的に生成されることがわかりました。
言い換えれば、スカラー場が宇宙の初期状態として自然に存在したならば、暗黒物質が宇宙に満ちている現在の状態はごく自然な結果であり、細かな調整をする必要は一切ないということなのです。
従来の多くの暗黒物質理論では「初期にこれくらい暗黒物質があったはず」という仮定を置かなければならなかったのに対し、このモデルでは特別な設定を加えなくても暗黒物質が適切な量存在する計算結果が得られたのです。
研究チームは「過去の研究者たちはこの最もシンプルな可能性を見落としていた」と指摘しています。
また驚くべきことに計算の結果、このスカラー場由来の暗黒物質モデルは、現在の宇宙で観測される暗黒物質の分布や宇宙背景放射(ビッグバンの名残の微弱な光)にも矛盾しないことが示されました。
特に、暗黒物質と通常の放射(光子など)のゆらぎの関係(アイソカーブ摂動)も、宇宙マイクロ波背景放射の厳しい観測制限内に収まることが確認されています。
さらに、この仮説が正しいかどうかを検証する方法も存在します。それは宇宙の構造形成(銀河や銀河団ができる過程)が通常想定されるより“盛ん”になるということです。
暗黒物質がインフレーション期から存在した影響で、わずかながら銀河の分布に特徴的なゆがみ(ゆらぎの痕跡)が残ると考えられます。
言い換えれば、暗黒物質が本当にビッグバン以前に生まれたのなら、現在の宇宙における銀河の配置パターンが「その証拠」を秘めているはずなのです。
こうした結果から、研究チームは暗黒物質がビッグバン以前から存在し得ることを最も簡潔なモデルで実現してみせたと言えます。
しかもこのシナリオでは、暗黒物質が通常の物質と重力以外で相互作用しない(だからこそ実験で見つけにくい)という性質が自然に導かれます。
新たな未知の力や複雑な粒子理論を仮定する必要もありません。
「余計なもの」を足さずに謎を説明できるという点で、このモデルのシンプルさは大きな魅力であり、説得力となっています。